=== 4月8日 10:15 --- 理学部7号館 214教室にて ===

[目次] 知能システム論ということで基本的に人工知能に関する話をすることになります。
で、人工知能というのはこれまで授業というのはなかったんだよね。4年生も。この授業としてはここにあげた5つぐらいのサブトピックを各々のトピックに関してだいたい2回から3回ぐらいやろうと思っています。
ただ僕はあの5番目の認識の問題は専門ではないので軽くやろうと思っています。
で今日はまあ一回目なので細かい技術的な話をするというよりもこの授業でどういったことをやるかといった、概要の話を少ししたいと思います。


まあ、問題解決というのはいろんなところで言葉だけは聴いたことがあると思います。
典型的な問題としては知的なロボットのプラニングという問題がありますよね。
というのは例えば、知的でないロボットというのは一から十まで人間がプログラムしておいて、その通りに動くというロボットなんですが、あの人工知能として興味のあるロボットというのは、そういうルーティンワークをするロボットというよりむしろ、えっといろんな事態に自分なりに対応できるようなロボット、
いいですか、与えられる命令としてはかなりマクロなもので、例えばここにロボットがいると、隣の部屋に行ってこれをとってきなさい、そういう命令を与えてやると、隣にいく、隣の部屋にいくという行動の計画をたてて、例えばここに椅子があると、それは邪魔になるので、いったんのけて直線の距離をすすむか、あるいはそれを避けて歩いて実際にドアのところまでいってドアをあけて中にはいってものをとって帰ってくる。

だから実際に与えられる命令はかなりマクロなもので、それをロボット自身が細かな行動の系列に分けるという部分はロボットが判断していく、と。つまり、その場の状況にあわせてプランをたてていくと。
あるいは最近の新聞で読んだと思いますが、チェスをするようなプログラムで、チェスのチャンピオンに少なくとも一回は勝ったという話がでていましたよね。
そういう問題を解決するようなシステム、それを problem solving という形で、ま、二、三回話をしようと思います。


で、二つ目の話題というのは問題解決をしていくと結局、あの、我々が、我々っていうのは人間なんですが、人間が世界に関してどういう知識を持っているかということが問題になる。
実際にはロボットにも人間がもっているような知識とはっきり対応するようなものをロボットにも与えておかないと、人間と同じ様な知的な行動をすることができない。
で、結局はそういう問題を解くっていう能力はその能力によって使われる我々の知識っていうところを問題にしないと、全ての問題を解決したことにはならない。

いうことで人工知能の研究というのは初期の問題解決を中心とした研究から徐々に我々が世界に関してもっている知識っていうのはどういうものなのか、とか、それを計算機に使えるような形にして与えるにはどういうテクニックを使う必要があるか、ということで、知識表現という研究に移っていくわけですね。
で、二つ目のサブトピックというのは我々が世界に関してもっている知識というのを計算機の中にどういう風に表現しておくかという話をしていきます。


で、三つ目の話というのは、そういう知識が表現されたとしても、それを使っていくということが問題になるわけですね。で、その使う一つの形というのが、論理的な推論である、ということになりますから、あの知識表現の問題というのはそれを使うプロセスと切り放して議論することができない、わけですね。
ですから三番目のトピックというのは、そういう風に表現された、我々の知識というのを使って、知識の中にはexplicit に表現されていないようなものを、知識を組み合わせることによって、新たな知識の単位として導出してくる、そういう機能について話します。ま、推論と言われている部分ですね。


この1、2、3というのは特定の、対象分野によらないで一般的な知能というのを問題にするわけですが、知能システムとか人工知能といわれている分野の中には個別の情報の表現形態、例えば、言葉であるとか、視覚であるとか、そういう我々の知能そのものを問題にするのではなくて、我々が情報を処理するときに、その情報をどう表現するかっていうそこに関与した問題があります。
それは一つは言葉の問題で自然言語をどう処理していくか、ということがありますし、あるいは認識の問題としては、視覚の情報をどういう風にして計算機にとりこんで実際の処理に結びつけていくか、そういう認識の問題、すこし個別的な分野があります。
で、その話を四つ目と五つ目のサブトピックとして話をすることにします。で、僕自身は自然言語処理を専門にしていますんで、えっと四番目のトピックを少し詳しくして五番目のパターン認識とか視覚に関する話っていうのは僕の専門じゃないので、比較的軽くふれる、ということにします。
で、今日の話はこういう人工知能のサブトピックというのがあるのですが、それを実際に研究するにあたっての背景的な話をするということにして、導入部、これからの授業の導入にしたいと思います。


[辻井先生1] それでまず、人工知能研究の背景ということなのですが、まあ、いくつかの 導入の仕方があるとおもうのですが、科学的な方法論から説明していきたいと 思います。で、一つはたぶん19世紀後半から二十世紀前半にかけてっていう のは、物理学というのが我々の科学、自然科学の中で非常に強いパラダイムを 提供してきていたわけですね。ま、一番成功した科学といういえるのですが、 そういう意味では物理学以外の他の科学というのも、その物理学をモデルにし て自分たちの分野の研究をやっていこう、と、物理学というのが科学の一つの 理想像みたいなものを与えていたわけ、ですね。で、つまり物理学というのは 非常に成功したと、だから例えば化け学でも生物学でも、あるいは我々の知っ ていうんですか、知能を対象とするような科学でも物理学と似たような方法論 をもって研究していくべきだと。それが、その学問分野を科学として自立させ る一つの方法だと考えられたわけですね。で、結局その物理学の方法論ってい うのはどういうものかというと、結局実験とか観察っていうことと、その実験 観察に基づくモデルの組立ですか、理論の組立を相互作用的にすすめていくと。 で、例えばある観察した事象があってそれを説明するような理論をつくる。で、 その理論からpredictできるような現象があってそれが実際に観測できるかど うかというのをまた試してみる。ということの繰り返しでもって理論とその検 証をやっていこう、と。で理論の組立をやっていきましょう、というのが物理 学の基本的な方法論というわけですね。それを科学としての心理学とか言語学 とか哲学とかに適用していきましょうと。つまり物理学的な方法論というのを 知の科学っていうんですか、我々の知っていうものの科学を構築していくとき にも物理学的なモデルをもって、というか方法論をもって研究していこうと。 というのが二十世紀の前半にかけて、知の科学においてもdominantなパラダイ ムになったわけですね。


言葉としては何人かの人がきいたことがあると思うの ですが、行動主義というのが1950年ぐらいまで心理学、あるいは言語学に おける中心的なパラダイムになってたわけ。行動主義っていうの聞いたことあ る?(生徒首を振る)そういう言葉は聞いたことある?(生徒首をふる)あん まりそういう話はきかないのかな(先生、笑)ok。どういう話かっていうと、 結局は観察から、あるいは検証可能なデータに基づいて理論を構築していきま しょう、と。というのは、物理学をやっている人からすると当たり前のことだ と思うのですが、心理学とか、そういう僕らの心に関する科学っていうんです か、僕らの知能とか、僕らの心の中を対象とするような科学、分野にとっては わりあい画期的な話だったわけですね。つまりそれまでの哲学とか、心理学と か言語学というのはよくいわれるようにarm-chair psychologistというのがい て実験とか何もせずに僕らの心がどうなっているかというのをspeculateだけ すると、つまり、こんな風になっているのかな、とか話だけするんですね。哲 学とか特にそうだと思うんですが、観察とか検証っていうのを特に考えなくっ て、自分の思弁でもって、理論を組み立てていくと、理論とか検証とかをあま り考えないっていうことだったのですが、そういう arm-chair psychologistっ ていうのは、だから、なんていうんですか、ま、お酒でも飲みながら椅子に座っ て人間の心はどうなっているかというのをspeculateするような心理学者とい うことなんですが、そういうことに対する非常に強い批判ていうものがでてき たわけですね。そういう風にして組み立てられた理論とかモデルとかは検証の しようがないんですね。で、それがどちらが正しいかっていうのはいいようが ない、っていう話になるんです。そこで思弁的な科学っていうんですか、 specualteだけするような科学、方法論というのは科学にならない、というこ とで1900年にはいってから1950年にかけて、行動主義という、我々が 表面的に観察できるような人間の行動に密着して、それだけから理論を組み立 てていきましょう、と。つまり僕らの心の中でどのようなことがおきているの か、っていうのを思弁的に議論するようなことはやめましょうっていう強い主 張がでてくるわけ、それが行動主義といわれている一つの流れ。

行動主義の研究者っていうのはどういうことをやったのかというと、 心理学に典型的に現れ るのですが、心理学はもっと実験をしなくちゃだめだ、と。人間の心がどーだ、 こーだというのを思弁的に議論するだけでなくそれを実験にのせましょう、と いうわけです。心理学で刺激反応モデルって聞いたことありますか?例えばあ る一つの刺激をぴっと与えて、それで人間がどう反応するかっていうのを計測 していくわけですね。一番単純にいうと、あの例えば光をぱっとあてて人間の 瞳孔がどう反応するかっていうのみるとかですね、あるいはある文章を聞かせ て、それに関してある質問をしたときにどれぐらいの反応時間でもって人間が レスポンスできるかっていうのを計測するとかですね、だから結局なんかある 種のinputを人間に与えて、そこから人間の反応を引き出して、それの反応時 間の計測とか、なんとかすることによって人間の内部でどういうことが起こっ ているかということのモデルを作っていきましょう、というわけ。それが刺激 反応モデルというやつですね。で、行動主義言語学、つまり言語学の方でもど うやったかというと、これは観察できるってわけですね、観察もできるし実験 もできる。思弁的に僕らの心がどうなっているのかということを議論するんじゃ なくって、ある種の実験にのって人間の心を探っていこう、という方法論だっ たわけですね。

それから構造主義言語学っていうのもあって、人間がしゃべっ ていたこと忠実に記録していってそのデータをもとにして、そのデータから帰 納することによって、ある言葉がもっている規則性っていうものを発見してい こう、と。それも言葉っていうのはどういうものか、という言語哲学的な議論 をするんじゃなくって、人間が実際に言語活動しているその場をそのまま記述 していって、そこから機能的に言葉に関する規則性っていうものを導き出して いきましょうということをやったわけですね。特にこの時期アメリカの言語学っ ていうのはアメリカインディアンの言葉を研究していましたから、自分たちの 言語直感を使うことができなくて、つまり自分たちはインディアンじゃないか ら、あのどういう規則があるっていうのを自分の頭の中で考えることができな いわけですね。ですから、結局アメリカインディアンがどういう言葉を使って いるかというのを全て記録していくことで、その記録をもとにして、アメリカ インディアンに関する言語のモデルを作っていきましょう、と。そういう方法 論だったわけですね。この二つともが、データというものが大事でして、しか も観察可能なデータというものを非常に大事にして、そこから理論を構築して いくと。という方法論をとっていたわけです。ただ、こういう方法論っていう のはどこかで限界がくるわけですね。刺激反応モデルではどこかで刺激を与え てその反応をみるっていうんだけど、そういうことで僕らの思考そのものが研 究できるのかっていうと、できそうにないですよね。僕らの思考そのものはもっ と複雑になっていますから、それがちょっとした刺激に対してどう反応するかっ ていうのを見るだけで研究できるっていうのは、まあある意味で幻想で、そう いう行動主義的な方法論というのが1950年代に入ってくると、徐々にうま くいかないっていうことがわかってくるわけですね。より複雑な人間の情報処 理機構を解明しようとすると、どうも刺激と反応だけではうまくいかない、つ まり、えっと、より複雑な内部処理の重要性、っていうのが徐々に心理学の方 でも認識されていきますし、言語学の方でも認識されてくるわけ、ですね。つ まり、知的な処理っていっているのはある種の、最初の方でいったこの知能シ ステム論というところで、実際に問題としようとしているような問題解決、ロ ボットのプラニングとかいった、人間がある行動をとるときにその行動のプラ ンをつくるっていう、その操作をどのようにモデル化するかという話ですね。 あるいは、人間はある種の言葉っていうものを処理しているわけですけど、言 葉っていうのは僕らの心の中でどういう風に処理されているのかっていうこと を、そういうところを問題にしようとすると、どうも刺激反応モデルといった 単純なモデルだけでは、ま、説明できない、そういう意味で、行動主義的な研 究方法論というのが行き詰まりをみせていた、というのが1950年代だった といえると思います。


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Last updated on 7 May, 1999