情報科学科の先輩に聞く!

第1回 基盤ソフトに降り立つ

自作ゲームを公開してみれば……

太田 なつかしいな。僕らは学生時代に会社をつくったのだけど、オフィスがなかったから、夜になるとこの情報科学科の会議室によく集まっていたんです。

――スゴイですね。その後アメリカで起業と聞いて、ぜひお話を聞きたいと思っていました。

太田 僕も、2年前まで思っていなかったよ!

――太田さんはACM ICPC(国際大学対抗プログラミングコンテスト)国際大会の出場者でしたね。プログラミングはいつから?

写真

太田 高校生だった2001年から。僕はネトゲ厨で、「ウルティマオンライン」や「ディアブロ」に熱中していたんです。高校3年生のときに、Javaプログラムが動作する携帯電話を買ってもらい、それでゲームをつくって公開したら、なんと40万ダウンロード。それからどんどんプログラミングにはまっていったんです。

――携帯電話のゲームを公開したら、電車で隣に座っていた人が遊んでいたのだそうですね? 素敵なお話です。以前のパンフレットで読みました。

 そうなんです。それが、ふとしたきっかけでLinuxに触れて、これは性格なのかもしれないけれど、下のほう――基盤技術に向かって降りていきたくなったんです。

 当時のLinuxは、うまく日本語を扱えない、ブラウザに日本語が出ない、というような不備がまだいろいろありました。それで、KDEというデスクトップ環境やUINという日本語入力環境を改良してコミッター【*1】になったりしています。

【*1】プロジェクトのコードを自分の判断で改良する裁量を与えられた開発者。技術的な力量とプロジェクトへの貢献が認められていることが前提になる。

――情報科学科に来ようと思ったのはいつごろでしょう?

太田 理科一類に入ったときから、情報科学科以外に進むつもりはありませんでした。入学したらすぐに来たかったなあ。それで、1、2年生の間は、週に1回フランス語と体育の授業がある日だけ登校して、あとはシステム開発のバイトばかり。