情報科学科の先輩に聞く!

第1回「気鋭の技術者集団」ができるまで

腕ききの志士、集まる
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――まずは起業のきっかけから教えてください。

西川 人との「出会い」が大きかったですね。その後を左右する出会いがいくつかありました。PFIは6名で創業しましたが、ここにいる3人は情報科学科の同期生なんです。それから僕は、2006年のACM/ICPC(米計算機学会主催/国際大学対抗プログラミングコンテスト)に出場しましたが、そこで感じるところもあり、また、国内外のさまざまな大学の人と知り合うことができました。創業から参加している京都大学のメンバーも、ICPCで出会ったのです。

――ICPC出場で得た感触とはどんなものですか?

西川 上位チームの実力は、やはりスゴイです。だけど、まったく勝てないわけではないんですね。言葉や練習時間などのハンディがあっても、うまく役割分担して補完しあうことはできます。日本の学生だって世界の上位チームの学生と知識や技術は互角だし、チームとしてはスーパーになれるんだ、と感じました。そんな経験から、会社を作っても、少ない人数でも、海外と張り合えるのではないかと思うようになったんです。

――ほかにどんな“出会い”があったのでしょうか。

西鳥羽 この3人は、バイオ系の創薬ベンチャーで、DNAの塩基配列を解析して似たような配列を探すというアルバイトをしていたんです。その会社ができてまだ1年目、社員は十数人くらいのときです。そこでの経験が、あとに大きな影響を与えました。

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岡野原 そこで、ベンチャー企業の空気みたいなものを味わえたのは、大いに経験になりましたね。「このくらいがんばれば会社が回るんだ」という感覚が、見えたんです。

西川 バイオ系のベンチャーは、かなりの資本が必要なんです。その会社はベンチャーキャピタルから億単位の資本を導入していたんですが、ちょっと業績が悪くなったときに、僕らのいた部門はなくなってしまったんです。

岡野原 手がけていた分野は時期尚早と判断したんでしょうね。僕らは解雇されちゃったんです。

西川 ちょうどそのころ、自分たちも会社を設立しようとしていたのですが、あれは衝撃的な経験でした。

――アルバイトがなくなったから会社を作った、というわけではないんですね。

岡野原 そのころにもうひとつ、「未踏」(IPA未踏ソフトウェア創造事業)で受けた刺激が、起業のきっかけになっているんです。僕は未踏をユース部門の第一期から経験しているんですが、未踏の経験者は起業志向が強いので、「自分も」と思うようになりました。

西川 僕は、岡野原のプロジェクトの手伝いをしていて、岡野原が作った検索エンジンをなんとか実用化したいと考えるようになりました。そこで、「自分たちでやってみよう」と会社を作ることになったんです。身分はまだ学生、アルバイトもなくなってと、厳しい船出でした(笑)。