情報科学科の先輩に聞く!

現役学生OBインタビュー「先輩たちの仕事の原点」各界で活躍する先輩たちが教えてくれる“仕事の本質”

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自信を持ち、危機感を持て

日立製作所|松葉浩也さん (情報科学科25期)
インタビュー年月日
平成25年 3月 12日
松葉浩也 
石川研究室で平成17年に修士課程修了。東大情報基盤センター助手・助教を経て博士号取得後、22年4月に日立製作所入社、スーパーコンピュータ関連の製品開発に携わる。現在はアメリカのAT&T研究所へ出向中なので、インターネット電話でお話を伺った。
荒谷聡、安酸円秀(情報科学科三年)
情報科学との関わり

まずは経歴からご紹介ください。

私は情報科学科25期生で、大学院に進学後、博士課程の途中で情報基盤センターのスーパーコンピュータ部門の助手(後に助教)になりました。助教をしながら論文博士という形で学位を取り、日立製作所の中央研究所へ入社。そこでスパコン用のファイルシステムを二年ほど研究し、昨年の11月にアメリカのAT&T研究所へ出向社員という形で来ました。今も所属は日立製作所のままです。

情報科学科を目指すことになったきっかけは。

子供の頃から電気製品が好きで典型的な理系でしたが、特に高校生の頃に理科の先生で計算機に大変詳しい先生が二人いらっしゃいまして、その先生方が自作されていた気象データ記録装置に興味を持ったのが最初のきっかけだと思います。気温、日照、風速などのセンサー情報をデジタルに変換してパソコンに入力し、自作プログラムで記録、可視化するシステムだったのですが、まさしくパソコンを自由自在に操っておられる気がして、自分もそういう道に進みたいと思いました。教養学部時代には物理学科と迷ったりもしましたが、結局は一番興味のあるのはやはり計算機で、理論からハードまで計算機のことを広く深く学べると感じた情報科学科に進学しました。

研究室は石川研だと伺いました。

三年生の間に私の興味はシステムに近いソフトウェアだということははっきりしていました。四年生になったとき、まさしくシステムソフトウェアを専門とされる石川先生がこの学科に移って来られました。これは幸運だったと思います。今、振り返っても正解だったと思うのですが、分野が一致しただけでなく、人柄と言いますか、先生の学生への接し方などから、石川先生についていけば無事に博士になれるような気がしたこともあり、配属希望の提出時はほとんど迷うことはありませんでした。そんなわけで、私は石川研最初の卒論生でした。他に二人いましたけどね。

研究室では何をされていましたか。

並列計算機を使った演習は受けましたか? 並列計算機って、名前だけ聞くと一台の計算機だと勘違いしますが、今の並列計算機はほとんどの場合、たくさんの計算機の集合体ですよね。個々の計算機にログインできてしまったりしますし、プログラムするにしても通信を自分で書かないといけない。そんな不便な!というのが私の並列計算機に対する第一印象です。石川研ではそれを何とかもう少し一台の計算機らしく振る舞ってもらうためにどうすれば良いかを考えていました。現実は細かい問題の細かい解決策に入り込んでしまっていますが、修士論文も博士論文も、基本的にはそういうテーマで書いています。

日立製作所での仕事

現在のお仕事について教えてください。

現在というとAT&Tということになりますが、今はクラウドサービスの提供者側の視点で仕事をしていまして、思ったような性能でシステムが動かないときに何が起きているのかを迅速に発見する方法を研究しています。これについてはこちらに来てから日が浅くてまだ話せることもないので日立での話をしますね。

日立製作所の研究所にはおおまかに言うと、現行製品をより良くするタイプの研究と、未来の製品を模索するタイプの研究があります。純粋なサイエンスの発展を目指す研究もなくはないのですが、基本は営利団体ですので割合は少ないです。私は今までほとんど現行製品をより良くするタイプの方の研究をやってきています。スパコン用の並列ファイルシステム製品なんですが、皆さんが知っている有名な組織の中にも弊社のスパコンを使ってくださっているところはありまして、私が設計したものが目立たないですけどこっそりと動いています。

現行製品の改良に多く携わっておられるのはなぜですか。

会社ですから、どちらのタイプの研究をするか、などの仕事の大枠は上からの指示ということになります。始まってしまえば自分のアイディアや方向性を提案することはできますけどね。面白くないですけど、質問に正直に答えるとこれは「上からの指示」という答えになってしまいます。私は大学でスパコンに関わるシステムソフトウェアをやってきた経験を持っての中途入社でしたので、管理職の方々は私の経験が一番生きる仕事を割り当てたのだとは思いますけど。

製品開発というと「デスマーチ」をイメージしてしまうのですが、そういうことは実際にあるのですか。

実は正確には私は開発をしていたわけではなく、役割は設計と試作だったので、私自身にはデスマーチみたいな経験はありません。実際の開発現場を見ていても、期限ぎりぎりに徹夜で書いたコードの品質がいいはずもありませんから、そのようなことは起きないように様々な工夫はしています。むしろ大騒ぎになるのはお客様のシステムをバグで止めてしまったような場合ですかね。その場合は一刻も早く原因を突き止めて直さないといけませんので、開発担当の方は徹夜でクラッシュダンプの調査なんてこともあります。それが開発の山場と重なる最悪のパターンもありました。私の場合は夜通し性能測定、というのはありました。スパコンですので、お客様には当然、最新、最速のソフト、ハードを提案します。そのためには自分が関わっているソフトウェアの性能を、開発中の最新ハードウェアの上で測定しないといけないようなこともあります。開発中のマシンはハード、ソフト、いろんな分野の方が使いたくて大人気ですので24時間態勢で割当が組まれていて、自分の使える時間が土曜日や夜中にあたってしまうことはありました。大きな会社ですので労働関係の法遵守も厳しくて、ちゃんと代休などの埋め合わせはありますけどね。

大変そうですがやりがいを感じるのはどういうときですか。

ありきたりですが、こうして作ったソフトウェアが実際に世の中に役立つ用途で使われているわけで、それが最大のやりがいです。あとは自分が関わって性能が上がったおかげで新しいお客様が見つかりそう、という種類の話は嬉しいですね。

研究に詰まった時はどのように解消しますか。

明確な答えがあると楽なんですけどね。よく言われるのはとにかく論文とか雑誌記事とか、最先端の情報に触れること。あとは人と話をすること。一人で机の前にいたっていいアイディアなんて出てこないので、よく言われることですが、これは正しいと思います。一流の研究者だと自分なりの解決パターンがあるのかもしれませんが、私はまだまだです。

東大情報基盤センターでの仕事

大学で助教をされていたときはどのようなお仕事でしたか 。

皆さんの近くの助教さんは自分の研究をしつつ、学部生の演習をもったり大学院の学生の研究指導をしたりしますよね。私は情報基盤センターでしたので、そこに所属する学生さんというのはいませんでした。実際にはコンピュータ科学専攻の助教みたいなこともやっていまして、三年生のOS演習を担当したり、石川研の学生指導をやったりはしていましたが、基本的に情報基盤センターの助教は、学生指導ではなく、センターのシステムのユーザーさんのサポートが重要な仕事になります。私はスパコン担当でしたので、どうすれば効率的にスパコンを使えるのかを検討したりしていました。もちろん、博士号をとらないといけなかったので自分の研究もしていましたよ。

自分の研究に割ける時間はどのくらいだったのですか?

助教の仕事というのがはっきりと定義されているわけではないので、どれだけ自分の研究をするのかもある程度自分で決められます。私は半々くらいにしていたと思います。本当は助教はもっと研究者であるべきで、論文をたくさん書かないといけなかったとは思います。私の場合ユーザーさんと一緒に工夫をする、研究でない方の仕事にもやりがいを感じていましたし、そっち側の働きの評判も悪くなかったので半々くらいにしていました。

大学での研究と企業での研究

大学、企業両方での研究を経験されているわけですが一番の違いは何ですか。

悪い意味ではないのですが、企業の方が個人の自由は少ないです。製品が売れてなんぼの世界ですから、研究としての面白さよりもビジネスが成り立つことが大事です。技術的におもしろいことばかりやっていても売れるものができないのは想像つきますよね。その分、製品に近いところで研究をするので、自分の成果がお客様のもとに届く可能性は高いわけで、その点はさっきも言いましたが大きなやりがいになります。

あと、少し研究の話ではなくなりますが、もの作りという観点では大学の研究で作るものと企業の製品はまったく異なります。とにかくお金をいただいてお納めする製品ですから責任が全然違います。「バグ」と言えば情報系の我々にはよくあるものに聞こえてしまいますが、バグがある製品は「不良品」ですからね。私が作る試作品はともかくとして、本物の製品になるソースコードの管理やテストは、多分みなさんの想像をはるかに超えるレベルで丁寧にやっていますし、情報管理や知的財産、法令遵守に関しても、不適切なことが起きないよう、これは研究段階から非常に気を使います。

逆に共通点は。

もちろん論文を書いたりプレゼンテーションをしたりというのはどこにでもありますし、OSもハードウェアも、大学にいようが会社にいようが技術的には同じものですから同じ知識が活躍します。もっと一般的な話をすれば、常に新しいものが求められている点や、目的を明らかにして筋の通った仕事になるよう自分で自分の仕事を常にチェックしていかないといけない点は共通ですかね。

大学から企業に移られたのはなぜなのですか。

私たちは理学部ですけど、私のようにシステムソフトウェアみたいな領域に来てしまうと工学的要素も強いんですよね。技術的に可能、不可能というだけでなく、生産技術、品質管理だとか、生々しいですがいくらで作っていくらで売るのか、というところも本質だと私は思うんです。だから物を作って売る経験は欲しいと思っていました。これは学生の頃からそうで、博士号を取ったらどこか企業の研究所に就職するつもりでした。まあ、日立の品質とコストのバランスが本当に妥当なのか、とか、じゃあ西川君たちみたいに会社を興せばもっといろんなことがわかるのでは、とか、考え出したらきりがありませんが、おおまかにはこんなところで、予定通り企業に移ったというつもりでいます。

もちろん、大学がダメだったということではないですよ。顧客の立場を経験していることは今の仕事にも生きていますし、自由に研究もできましたし。元々企業志向だったというのと、助教が任期付だったということから、私にとっては少し企業側の引力が強かったということです。

情報科学科での勉強と仕事

情報科学科での勉強はお仕事に役立っていますか。

もちろん役に立っています。私は分散システムをやっていた関係で、例えばTCPの実装や挙動にはかなり詳しいです。AT&Tはもちろんネットワークの会社ですから、TCPがどう動くかが手に取るようにわかるというのは今の研究にはとても役に立っています。日立での研究でも、ファイルシステムはもちろんシステムソフトウェアですから、大学で経験したことはそのまま使えました。

CPU実験では何をされましたか。経験は役立っていますか。

私はCAD係でFPGAの内部を書いていました。今はVHDLか何かで書くんですよね?

はい。

まあそうですよね。それが普通だと思いますが、当時はまだFPGAも小さかったので手で回路図を書いていました。しかもコンパイラの配線がいまいちだったので、FPGAの中の物理的な配置まで自分で指定したりしていましたね。

今とはずいぶん違いますね。

私たちの頃はそもそも動く班が半分くらいでした。だからと言いますか、プロジェクトマネージメントがすごく大事でした。とにかく期日までに課題をこなす、社会人的に言えば約束した納期に間に合わせるということにもつながりますが、最終発表会で課題の絵を表示する所まで辿り着くために団体戦でどう戦うのかが結果を左右していました。それぞれの役割分担の間に落ちているような、皆が見落としているような事が時々あったりして、団体戦というのは単なる個人戦を集めただけでは絶対にうまくいかないということを実感しました。社会に出ると結構当たり前なので意識はしませんが、この経験はもちろん今でも生きていると思います。

今はどうなんですか。動くのが当たり前みたいな話も聞きますが。

先輩が残したノウハウみたいなのがあって目標と工程が最初にある程度見えてしまうんです。一人で一ヶ月で全部作ってしまうような人もいて、最後まで動かないようなことはあまりありません。

それはCPU実験の意味を半分失ってしまっているような気がしますね。もちろん一人で全部できてしまう学生さんは優秀で素晴らしいですけど、学び損なっていることもあると思います。やっぱり毎年課題に取り組む人が違っても、同じ課題だとだんだん簡単になってしまうんですね。マネジメントの重要性がほとんどなくなっているのは少し残念だと思います。学生さんに言っても仕方ないですけど。

海外での仕事

現在は海外にいらっしゃるわけですが、海外で働くメリットはなんですか。

ソフトウェアの世界では、海外に住まないと絶対できないことというのはそうそうありません。ただ、情報系では日本でトップレベルの研究者が集まる環境というのはなかなか無いので、その点では海外に行くのは大きなメリットですね。例えば中国人というのは日本人の10倍の人数いるわけで、情報科学科に当てはめると1位2位を争うレベルの人が情報科学科自体の人数分ぐらいいることになりますよね。現実はそんなに単純ではないですが、それでもやっぱり今の職場には実際に中国やインドの方はたくさんいて、手に負えないくらい優秀な方もいらっしゃいます。その辺りの事実を肌で感じられるのは大事だと思います。

逆に不便なことは。

もちろん文化や言葉が違うのは大変ですよ。食べ物も日本人好みのものが手に入らないことはよくありますし、なんと言っても英語ですね。私は日本人によくあるパターンで聞き喋りが苦手です。海外で働いていると聞くと、皆が英語ペラペラで、グローバルビジネスマン的に活躍しているイメージですけど、それは外向けにはかっこいいところしか言わないからなんですよね、多分。実際のところ、こっちにいても英語で苦労している日本人は多いと思います。私も仕事の打ち合わせは何とかなっていますが、昼食の会話みたいな雑談では、どんな話題が飛び出すか想像できないですから、ネイティブとか英語のうまいヨーロッパの人たちが何の話をしているのかさっぱりわからないということはあります。みなさんも英語の聞き喋りは絶対に強化しておいて下さい。こんなことを言うと実は帰国子女だったりして、釈迦に説法で恥ずかしいことになることもあるんですが、お二人はどうですか。

普通に日本の英語教育組です。

よかった……っていうことでもないか(笑)。まあ私より10年も後なので、良い英語教育を受けたとは期待したいですね。

日立に海外から来ている人はいらっしゃるのですか。

残念ながら私の日本の職場には、全くいませんでした。海外ラボもあるので、海外の空気はそこから入れる方針なのかもしれませんが、日立の国内研究所に勤務する人の中だけで見れば外国の方は2%程度だったと思います。私は国内ラボも三分の一くらいは外国人にして欲しいのですけど、日本は言葉や文化が独特ですし、残念ながら今から魅力が増えると思われている国でもないですから、それだけ集めるのは難しいでしょうね。

ご自身で希望されて、海外に行かれたのですか。

いや、実はプライベートを落ち着けたい時期だったので、このタイミングでの海外赴任は希望はしていませんでした。必要だとは思っていましたけどね。お二人は海外に行くことを考えたことはありますか。

今のところは国内で仕事をしたいと思っています。

私も修士一年のときに石川先生にインターンに出してもらうまで、海外なんて行ったこともなければ、考えたこともなかったですからね。今はお二人もそうだと思います。海外なんて得体の知れない不安な場所ですよね。でも、そういうドメスティックな人こそ来てみれば世界は広がりますし、私の場合は、先進国かつ友好国のアメリカにいるだけですからね、最もハードルの低い海外だと思います。来てみればどうにでも生活できますよ。こちらで仕事を探すとなると難易度も上がりますが、大学院の間にまとまった期間、海外に行くことくらいは現実的な選択肢として考えてもいいんじゃないかと思います。情報科学科できちんと勉強して行けば、意外とやっていけることもわかると思いますよ。

現役学生へのメッセージ

これからどうしたいとか、どこの研究室が興味あるとかありますか?

ゲーム業界に興味があります。

なるほど、過去のOBインタビューにもあったと思いますが、私の一つ上の先輩でそういう道に進まれている方はいますね。私はその分野は素人ですが、日本がものすごい国際競争力を持っている分野とはいわれていますよね。なかなか明るくていいかもしれませんね。

私はまだ決まっていません。

そうすると、まずはそこですね。人間、自分の興味にはなかなか嘘は付けませんからね。趣味だけで生きることもできませんけど、まったく興味のないことなんて努力が続きませんから、まずはやりたいことを探すのが大事かと思います。なんとなくプログラミングを楽しんで、いつの間にか時間が過ぎてしまう人も中にはいるので気をつけて下さいね。

最後に、現役学生、これから進学する学生へのメッセージをお願いします。

先ほど、情報科学科の勉強が仕事に役立っているかという質問があったので、役立っている話をしました。他のOBインタビューでもみんな役立っていると答えていますよね。今日も聞かれると思っていたのでこれだけは言おうと思っていたのですが、OBが情報科学科での勉強を生かして活躍しているから自分も安心、というわけではないことにだけは気をつけて下さい。活躍されているOBは見えない努力をたくさんされているでしょうし、みなさんはOBとは違う時代を生きるので求められる能力も違います。知識や技術を持っているのは生き抜いて行く上での必要条件でしかなくて、社会で活躍するにはプラスアルファが必要だという認識でいて欲しいと思います。そのプラスアルファが何なのか、というのは自分で見つけてもらうしかないのですが、とにかく、情報科学科での勉強で満足せず、自分の目指すべき道を考え、それに必要な努力はこれからも続ける必要があることは忘れないでいて欲しいと思います。

あとは先の見えない世の中をむやみやたらと怖がっても仕方ないですからね、しっかり勉強したという根拠のある自信と、何とかなるという根拠のない自信と、世界中のライバルと戦わないといけないという危機感をバランスよく持って、広い視野で一流のプロフェッショナルを目指していって欲しいと思います。情報科学科の卒業生が世の中を動かしている、という世界になるようにお互いがんばりましょう。