情報科学科の先輩に聞く!

現役学生OBインタビュー「先輩たちの仕事の原点」各界で活躍する先輩たちが教えてくれる“仕事の本質”

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しっかり土台を学べば、どんなシステムも情報科学の言葉で捉えられる

日本電信電話株式会社|武本充治さん (情報科学科14期)
インタビュー年月日
平成23年 2月 28日
武本充治 
平木研(1期)で修士号取得後、日本電信電話株式会社(NTT)に就職。現在、未来ねっと研究所ユビキタスサービスシステム研究部主幹研究員。
西浦一貴(学部三年)、大槻知彦(学部三年)
情報科学科を卒業した先輩がどのような仕事をされているのか、また情報科学科で学ぶことがどの程度どのように将来に生きるのかなどに関心があり、今回インタビューさせていただくこととなりました。
組織と現在の仕事について
現在のお仕事について教えてください。
組織の話からすると、NTTなんとかという会社がたくさんありますよね。それらNTTグループ全体を束ねている、新聞等で言われる「NTT持株」という会社に属している人間です。「NTT持株」に研究所がぶら下がっていて、学生さんたちは就職などで「NTT研究所」って、うちの会社のことを呼んでいますね。昔はNTT(日本電信電話株式会社)という一つの会社だったのが、分割されて、NTT東日本、西日本、コミュニケーションズと、うちの会社(NTT:日本電信電話株式会社)になりました。うちの会社は、分かれたそれぞれの会社の株を持って、後、NTTドコモとNTTデータに対しても筆頭株主でいます。そこに研究所がぶら下がってるんですよ。
何故そういう形なのですか。
事業会社で研究所を作ると「損する」研究は出来ない。百パーセントうまく行きそうな研究ばかりになってしまいます。それが持株会社の研究所だと、NTT東 日本、西日本、データ、ドコモからお金を頂いて、それで研究して、生まれた成果は出資した会社群で使える。だから研究を続けて五年、ものによっては十年二十年やってみて、これは事業には役に立たなかったという研究もあります。そうした、「結果的には当たらなかった研究」もやり続けないといけないですよね。だって、当たるかどうかは後にならないと分からないんですから。持株会社での研究から、ある会社で実用化したいという技術が出来たら、特許やプログラム、ソフトウェアやノウハウ、たいていは人もくっついて異動するんですよ。
そうするとNTTのグループ内では研究者の流動性は高いということでしょうか。
そうですね、技術移転に伴って付いていきます。僕も初めは同じ研究をずっとにやっていくのかと思っていましたが、「これをやってみないか」と言われてやってみるとそれが面白くて職場を変わるということが結構ありました。
現在はどういうことをなさっているんですか。
今はねえ、本当に今やってることはまだ詳しくは言えないのだけども(笑)、新しいテーマを企画するということをやっています。卒論や修論でも、こういうことをやればどうかというテーマが提示されて研究を行うわけだけど、そういうことを何十人規模で出来ないか、ということをやっています。
そうすると現在はあまり研究自体には取り組んでおられないのでしょうか。
外からはそういう風に見えると思います。大学の教官でも、自分でバリバリ論文を書く方と、ご自分でいろいろお考えになって若い人にアイディアを与える方と居ますから。僕も近頃は、大きいことをチームを組んでやることを考えるのが中心になってきました。
学生時代の研究
入社された頃は、ご自分でバリバリ研究されていたのですか。
(う〜む)、強いて言うと、大学院生のような生活でした。
学部生の頃から研究がお好きだったのですか。
学部生の頃はわかりませんでしたね。とにかくコンピュータのことがやってみたかった。在学当時、学科の宣伝のための冊子に皆で書いた項目に「いつまで(大学に)居たいか」というのがあって、「学部を卒業したら、就職したい」とか「博士まで」とかいろいろあったんですが、僕は何を思ったか「ずっと居たい」と書いてました(笑)。
僕は平木研の一期生でした。研究室が出来たばかりで何もなかった。今でいう産総研(当時は電総研)の研究員だった平木先生が東大に移ってきた時にワークステーションを二台持って来られて、一台を先生が、もう一台を一期生四人が使っていました。四人で一台はやっぱり不便だと言っていたら、先生がつくばかどこかからもう一台持ってきて下さった。今井先生のお部屋が近くにあってわりと広かったので使わせてもらったり、本当に貧乏でしたね。卒論も、ハードを作るお金も無かったので、シミュレータで研究してました。平木先生はバリバリの計算機屋さんで、ハードを作る方でしたね。先生を最初に見たときはどう思いました?
……印象に残るお顔立ちですよね。
二十年前からあの髪型でしたね。昔はもうちょっとボリュームがあったのですが。先生は三月にいらっしゃって、「誰だろう?」と思ったら新しく着任される助教授さんだった。四月の研究室紹介で「こういうことをやりたいです」とおっしゃる。「やります」ではなく「やりたいんです」と。面白そうだと思って平木研に入りました。僕はコンピュータといえばハードウェアのイメージが強かったから平木研に入りました。当時は米澤研が大人気で、ソフトウェアをやりたい人は米澤研に 行く雰囲気がありましたね。いろいろありましたが、平木研にいたのは、なんというか…変わり者が多かったね(笑)。
今だとクラウドでもクラスタでも、ケーブルを箱(スイッチやハブ等のこと)に刺してコンピュータを繋ぐのは当たり前ですが、僕が研究を始めた二十年くらい前までは、繋ぎ方、幾何学的な形によって計算全体の処理に影響が出るというのが常識だったんです。円形に繋ぐと処理がこう流れるからどうなるとか、ぎっちり真四角に並べるならそれに適した計算方式があるはずだとか。解きたい問題のクラスに対して適切な繋ぎ方がある筈だと言って、用途ごとにハードウェアを作ってたんですね。今だとイーサのハブをぶすっと刺すから一本しか手が出てないようなものですが、昔はたくさん刺すのが当り前みたいなところがありました。僕は卒論や修論をやってるときにそうした常識に疑問を感じて、コンパイラが頑張れば全体の計算量を均して、結果的に高速な計算を行えるんじゃないかと考えました。そのときはマシンパワーもなかったので64台か128台かを並行に動かして、通信パターンをコンパイラと照らし合せて調べてみると、実は繋ぎ方などあまり関係なくて、コンパイラのほうが大事ということがわかりました。その研究が修士の終り頃になって受入れられた。研究って面白いと感じました。
皆さんは信じられないかもしれませんが、僕らの頃は就職活動って修士二年や学部四年生の夏休みから始めるものだったんですよ。修士二年の途中で、こうやって自分でモデルを提案して実装してデータをとって評価する、システムの研究って面白い、研究者という職につくのも良いなあと思いました。
そのまま博士課程に進学されることは考えなかったのですか。
そこはねえ、ちょっとした話があって。平木先生に「技術者になりたいか研究者になりたいか学者になりたいか」と問われたんです。技術者とは論文など書かずに技術を高めていく方で、まさにコンピュータを作る。学者はひたすら思慮を重ねて論文を書く。研究者は両方をやる。これを聞いて、僕は研究者ですかねえなんて話をしたら「とりあえず就職してみたら」と言われた。それでいろいろ見学したりの、いわゆる「就職活動」を経て今の会社に入りました。
就職後の軌跡
入社される前と後で研究の内容は変りましたか?
良い質問ですね。変りました。実をいうと入社して、行きたい研究グループの志望を出したのですが、そこには通らなかったんです。入社以前は並列計算機のハードをやっていたのが、配属された先では分散OSのソフトをやることになってしまった。さっきも言ったとおり、修士の時にけっこう面白い結果が出ていたんですよ。OSなんかを載せずに、通信などを埋め込んだ特殊なコードを、C等で、直接やりたいことを記述するということをやっていた。ぎりぎりまでチューンナップさせるためにはあまりOSは載せたくなかったんです。
嫌ですよおって言いました(笑)。ぎりぎりまでチューニングしたいからOSの介在をなくしたくて…なんてペラペラ喋ってたら、「そんなに分散OSについて喋れる奴は今の新入社員には居ない。嫌いだ嫌いだと言うってことは、誰よりもよく解っているということだ」なんて上司に乗せられてしまって、結局その研究グループに入ることになりました。
それで――これは会社の宣伝になってしまうかな――うちは人材育成を大切にしていて、情報の学科でコンピュータの基礎を積んだ、つまりオートマトンやらコンパイラやらハードやら全部知っているような人間でも、実際の研究チームに入れて、それからプロにしていこうといろいろ研修があるのですが、中でもも最も大きい研修として、入社二年目の春に、修士論文の発表会のようなことが行われます。課題を渡して、自分でどう解決するかを発表するんです。それで、半年後にどこまで進んだか、また、発表します。僕が渡された課題は「交換機の高機能化」。本当にそれしか書かれていないんですよ。かなり特殊な例ですけどね。固定電話の受話器を上げた時に、一瞬、間があってツーって音がしますよね。あれは受話器を取ると回路がオンになって、今から押される電話番号を処理しますっていうプログラムが立ち上がったときの音です。番号が入力されてそれを解釈して繋ぐのが交換機の役目ですが、それを高機能化してくださいというわけ。「何をやっても良いから考えてみて。ただうちのチームは分散OSの研究グループだよ」と上司からは言われました。その交換機も当時は、専用のOSが載っているから、OSがわかる人間として交換機全体のソフトの最適化や高機能化を図ってくれと。それから半年くらい悩みました。学生時代に付合いがあった先生の発表を聞きに行ったりね。
そして結局なにをやったかというと、交換機というのは良く出来ていて、何らかの原因で故障しても、バックアップが動いていてそちらに切り替わるよ うになっているんです。分かりやすい言葉だと、高信頼化といいますが、それをソフトウェアでやることを試みました。あるコンピュータが停止しても、ある場所とある場所にバックアップコピーがあって、それらのバックアップをうまく繋ぐと復旧できる、そういうことができる機能を、OSの少し上の層にあるようなものを作ろうと考えました。発表すると、良いじゃないかと言われて、しばらくはその周りの研究をしていました。いつの間にか、ソフトウェアの高信頼化に詳しい人扱いにされていました。
高信頼化の研究をずっとなさっていたのですか。
五年くらいかな。僕は大体五年くらいで別の研究に移ることが多い。何となく次のことをやりたくなります。この辺りに課題があるけど、やる人は居ないのかな、と思ってしまう。他人からみると、ふらふらしているかもしれません。
高信頼化の研究の後は通信規格の策定に関わっていました。当時はA社が作ったコンピュータとB社が作ったコンピュータが通信するための規格がしっかりと定まっていなかった。もちろん、TCP/IPで繋がったとしての、その上のソフトウェアの層の話です。今だとHTTPなどがありますが、そんなものが無かったときに、誰かがそういうものを作らないといけない(標準化)。こういう理由でこうしたらよいと思うが、あなたの会社はどう思いますかという、擦り合わせの活動ともいえるんですが、そういう標準化会議に参加することが三年ほど。やりたいことを試みる中で見えてきたことを、こうしてくださいということで持っていくと、同時期に同じことを考えている人がいて、じゃあ話し合いの場に入ってくださいよってことになる。そして話し合った結果、仕様が策定された訳です。
分散システムの通信を考えるとすぐわかりますが、時間の保証ということができない。リクエストがあったときに、一秒以内に返信を返すってことができない。ウェブのサービスはその辺が曖昧で、だから発展したんですが、そうじゃない業種もある。リクエストが集中して、これ以上の処理は一秒では無理ってことになると、もうデータを受け取れないという信号を出したりとか。
証券取引システムなどがそうですね。
そうですね。そういう「一秒以内に応答」のようなことを分散システムでやるのは難しい。電話だと簡単で、警察や救急車の通信はすぐに繋ぎたいから優先度を最大にしておく、ということができるけど、A社とB社とC社の通信だと、常にA社が優先度最大で送ったら困ってしまう。そういう優先度の話もやったし、高信頼化の研究に始まって色々と裾野が広がっていきました。
こういう仕事をしていると、皆さんが絶対交流がない人と触れ合う機会があったりします。軍事メーカーなんてね。びっくりするような話ですけど、戦艦等に搭載されている軍事用のシステムは三十年くらいシステムの基本が変らないこともある。学習コストもありますし、信頼性が重要なのであまり頻繁に入れ替えられない。社内では出会えないような人とその会議の場で会ったりして話をするのも楽しいことですね。
その頃、ちょっとチームを移ることがあって、「ピアツーピアをNTTでやろうと思う、君なら通信の優先度なんかも詳しいだろう」と言われたんです。特許の仕事もやりましたね。その研究成果を別の研究所に移したときに一緒について行ってしばらくピアツーピアをやってました。自分がやらなくても誰かがやってくれるだろうという段階になって、なんか他のこともやりたいなあと思って始めました。
その次は「ユビキタスを考えよう」と上の方に言われた。
ユビキタスとは比較的新しい単語というイメージがありますが。
うちでは十年くらい前から話としてはありましたね。ユビキタス環境でサービスを提供しようということで、今までやっていた優先度、高信頼化、ピアツーピアなどとは別のことを考えてゆくことになりました。
ユビキタス環境の応用例ってまあなんでも良いんですけど、例えばさっき僕は部屋に入って灯りを点けましたが、まずそれを自動化したい。武本が部屋に入って灯りを点けたら、武本の好みの温度にエアコンを点けるとかね。これくらいの自動化であれば二十年前から実現されています。ところが、会議室でそれが出来るなら、家でも、出張先のホテルでもやって欲しいってのが人間ですよね。どこに行ってもそういうことが出来るような環境を作りたい。当時のかなりえらい人にプレゼンする機会があったので、話してみたら「俺が思ってるのとはちょっと違うなあ」なんて言われてしまったんですが(笑)、「まあ武本が考えたならやってもいいや」ということで、一人でいろいろやっていたら、国から予算をもらえて、五箇年計画だったかな、今にして思えばユビキタスとしては結構大きいプロジェクトを行うことが出来ました。
その研究の中でまた課題も見えてきた。例えば家に帰ったら自動で灯りが点くって話をしましたが、帰ったとき居間で子どもが寝ているかもしれない。そうすると自動で灯りが点くと困る訳です。色々なサービスがあるけど、これとこれは同時にはやってほしくない、というのがあるはずだと考えて企画書を書いていたら、また人事異動の話をもらいました。移った先の研究所で、じゃあうちでやれば良いよと言っていただけて、今三年目になりますかね。僕がよく言う話なんですが、部屋が寒くなったらカーテンを下げましょうとか、帰ってきたら灯りを点けましょうとか、そういうことはもちろん今の技術で十分実現できますけれども、それはサービスの受け手が一人の場合の話です。そんな家族や友達のいない人のためのシステムを作っても仕方がないと思うんですけどね。
条件が衝突することは起こり得ますよね。
そうそう。もちろんそれを事後に検出することもできるけど、それだとカーテンが上がったり下がったりしてしまう(笑)。事前に条件を検出して、危ないことはしないようにしないといけないということもありますしね。冬場に帰宅前に携帯電話を使って外からエアコンがつけられると便利を言っている人もいますよね。それは便利ですけど、便利だからって、外からストーブも点けられるようにしようっていうと危険ですよね。それをストーブだから危険だって言うんじゃなくて、なにか一般的なアルゴリズムで、どういう条件では起動してはいけないか、定式化するという研究を今やっています。
一般にユビキタスというとモバイルコンピューティングのイメージが強いと思うのですが。
いろいろあります。同僚がやっている研究だと、何十万個っていうセンサからの情報を数個のアンテナで収集するなんてことをやってますよ。たとえば今電気の検針員が目で見て回ってますけど、電気メータがそれぞれデータを送信できれば便利ですよね。アメリカではそれぞれの機器があんまり距離の届かない無線LANみたいな電波を出して、ガーッて車を走らせて一気に集計しちゃうらしい。他には無線通信の規格の話し合いに関わっている人間なんかもいて、そちらの部署はいわゆるモバイルコンピューティングみたいなことをやっていて、そうした研究もユビキタス部門の一分野ではありますね。
いろんな研究をなさってきたのですね。
そうですね。先程言い忘れたんですが、前にいた研究所では、ミクシィとかフェイスブックとかのSNS、あれに携帯なんかから位置情報をくっつけてサービスを提供するってのを考えていました。最近は(そういうサービスが)あるんですけど、それを三年半か四年くらい前に作ったんです。携帯電話でも、スマートフォンの一番最初のでもやったんです。「いまこのへんでおすすめのお店ある?」なんて聞いたら携帯に口コミで表示されるシステムとかですね。
今なら色々ありますね。
それを最初に作って、実際の市街地で実験とかしました。それで、事業をする部門にに「どう?」って言ったんですよね。そしたら「興味ない」って(笑)。
現在は定式化など理論的なことをなさってるそうですが、今伺った話は実務系な印象を受けます。理論的なことも実務系なこともどちらも出来る環境なのでしょうか?
そうですね。やろうと思えば出来るし、やりたくないならやらなくても良い。僕はどちらも興味があるのだと思います。十年以上仕事を続けると色々ありますよ。さっき言った携帯電話とSNSみたいなのにしても、僕が市役所とか商店街の人と「どういう機能が欲しいですかね」って打合せをして、だいたいのイメージを作る。それで僕が「決めた!」って言うと、「分かった!それ作る!」って言って新しいものを作ることに目をキラキラ輝かせる人もいるんですよ。その人は「表で交渉とかはあまりしたくない」っていう人でした。そういう人達も一緒になって、何人かでチームを組んでやりました。たくさんのプログラマを雇って、いろいろなお願いをして作るんですけど、その辺の工程管理が得意な人もいました。僕はあんまり細かいことはやらずに、市役所とか商店街とかと話をして、県知事とか市長とかとも話をしてました。
その立ち上げたサービスは今もう使われてないんですか?
実際にフィールドで実験はしました。初めに言ったけど、うちは持株会社で研究・開発をやってます。事業をするときは、いわゆる事業会社――東日本、西日本、コム、データ、ドコモ――に渡すんです。この話も事業会社が引き受けてくれそうなところまで行ったんですけど、結局引き受けてくれなかったんですよ。惜しいので、似たようなシステムを地元の人が作ったのをちょっとサポートしたりはしました。だから会社的な売上げは立ちませんでした。ほんとは持株会社から事業会社に渡して「お前よくやったな」って言われたかったんですけど(笑)。それはちょっと失敗したっていうことですね。
情報科学科で学んだこと
情報科学科で基礎をやってから入社されたと仰りましたが、情報科学科で学んだことが企業で生かされた実感はありますか。
もちろんさっき言った市役所や商店街との折衝なんかは、学科の勉強とは全然関係ないですよ。でもシステムの設計で、これくらいならできそうとか、できっこないとか、判断するには、万遍なく授業で習ったことが利いてきていると思います。お二人も理学部情報科学科でコンピュータの基礎を一通りやってるから、計算量がどうだとか、OSがどこまで処理ができるだとか、当たり前と思うかもしれない。でも、同じ東大でも他の学科から、うちの会社に入ってくると、ハードを作れるし、特定の言語でソフトも作れるけど、処理時間についての見込みの話ができない人がいるんです。計算量のことを、聞いたことがない、ってことなんですけどね。
確かに企業に入ってからだと学びにくい事ですよね。
そうなんですよ。計算量もだし、処理が終わるかどうかなどもですね。職場の先輩でも、ソフトをやってるけどロックの話をちゃんと勉強せずに分散OSや並行プログラミングをやってた人がいましてね、「時々システムが止まるんだけどなんでだろう」と言うので見に行って、「先輩これ排他制御をしてないからロックが掛ることがありますよ」と言ったら「えっ」って言われました。今授業で学んでいることは基礎で、何十年もかけて教科書がようやくできていることですよ。だから、どの仕事でも役立ちますよ。例えば「ベンチャーを起こしたい!プログラムを組みたい!」というだけの時には授業などあまり役に立たないかもしれないですね。でも、OSからハードから全部やってると、何とかおかしいと言われたときに最初の見込みを立てたり、計画したりするときには役に立ちますよ。
武本さんの在学時にCPU実験はありましたか。
それがですねぇ、僕の時にはなかったんです。CPU実験は平木先生が始めたんですよ。僕らの時はCADとかを買うお金もなかったので、ICを基盤にさしてどの足を繋ぐと、○○回路になって、波形がちゃんと出るなぁ、振動してるなぁ、というのをまずやりました。次は本来CPUの設計に入るのに、実装するものがないから、別の計算機の メモリがどうなるというのを全部シミュレータで作れっていう演習でした。その後何年かして、学科でFPGAでCPUが作れる、コンパイラもみんな書かせてるって言うから、そんな授業をしたらすごく人気になるかすごく不人気になるかだと思いました(笑)。
そうですね、CPU実験がやりたくて入ってきた人もいるようです。
カリキュラムは僕の頃(14期)とは随分変った。12期くらいまでは情報科学科の授業だけではなく、物理や数学から何コマか取らないと卒業できなかったんです。それが13期でほぼ先生が揃って学科の授業だけで卒業できるようになり、14期で僕らが進学したときに三年生専用のマシンルームができたんです。それまでは、研究室に三年の時から出入りしてちょっと使わせてもらってたりとか。だから14期から変わって、たぶん17期くらいからハードウェアが作れるようになって、またそこでがらっと変わったんじゃないか。CADはやってみたかったですね。僕の頃はハードのことをやってるといっても全部シミュレータでしたから。
今はノートパソコンで全部できるんですよ。だからどこでやってもいいはずなんですけど、みんな学生端末室にたむろしてます。
そうかー。僕も平木研に行って、そういうものの存在は知ってたんですよ。平木先生がどこかからお金持ってきてCADとかFPGAの開発キットを買ってきまして。一つ下の学年の三人で、CPUは作らなかったんですけど、CPUを買ってきて四つ並べて、その間の同期をどうするかという研究をしてたんですけど、それを見てて、あんなことやってみたいなぁと思ってました。昔は平木先生もハードをやってたのが、スピードを出すのにFireFoxの中を書き換えてますって仰っていて、随分変ってしまったなぁと。
でもあれも最終的にはたぶんどこかでハードに落してて、普通のハードディスクだとそもそも通信速度に追いつかないのでたぶんSSDでRAIDかけたりなんかはしてるはずです。
そうか。僕も話を聞かずにWebの解説とかわかりやすいところしかみてないからなあ。話聞いてみりゃいいんですけど。やっぱり指導教官は怖いね。
いまだにですか。
怖いというか、なんか圧倒される。
僕たちも平木先生には圧倒されてますけど。
なんか見透かされてるような気がして。社内だとこんな事やったら楽しいですよ、いいネタになりますよって言っても、平木先生に喋ったら「そんなの研究じゃないんじゃない」って言われたら「ああそうでございますか」と。そう思ってしまうから。
情報科学科の魅力
僕らの時は週に三日くらいしか授業がなかったんですよ。
今も10コマくらい授業があるんですけど、実質5コマとあとは実験で結構流動的にできますね。授業で拘束されるのは週4コマ程で、あとは課題もらってって感じですね。
駒場の学生に言ってもピンと来ないかもしれないけど、情報科学・コンピュータサイエンスについて、日本で一番の先生が集まってるのは事実。その授業を基礎から一通り受けられるのは、東大に入っても情報科学科しかない。やっぱり他の学科出身の人と話しても、さっき言ったように漏れが一杯出てくるんですよね。コンピュータを本当に分かるようになるの は情報科学科行くのが一番だと思いますよ。
情報科学科で学んだことが、コンピュータが関係するどんなところに行っても役に立つということですか。
そうです。学科の同期でいろんな仕事をしてる人がいるけど、授業でいろいろ聞いて身についてるから役に立ってるって言いますね。もちろんみな勉強を続けてるからなんですけど。学部三年四年、修士一年二年とやって自分の土台ができ、企業に入ってその要求で色々なことを吸収し続けてる。しっかり土台があるからどっちに振れてもやっていける。
学部生のうちは土台をしっかりさせるための勉強をするべきとお考えですか。
そう思います。情報科学科のカリキュラムはよくできてると思いますよ、回路からソフトウェア、コンパイラまで全部やる。
入社面談の時に何故NTTに来たいか訊かれて、コンピュータの研究がいろいろできると思うからと答えたら、終ってドアを閉めた途端に「変わった学生がいるなぁ(笑)」と言われた。僕には最初に言った交換機も、ユビキタスの問題も、全部コンピュータにしか見えないんです。通信システムというより、コンピュータシステムを作ってる気でいる。そういう思いでいると、クラウドというキーワードが出てきた時も、CPU資源の活用の話か、と学生の時に学んだ言葉に置き換えて捉えられる。ピアツーピアが出てきた時も、みんなFTPサーバを持ってみんなFTPクライアントを持ってるようなものを自動でやるだけだとかね。そうやって色々な言葉を学生時代に習ったことと置き換えると、勉強するのにまるっきり新しい技術なんてたぶんコンピュータでは出てこないと思うんですよ。
そこまでもうカバーできているということですか。
うん、できている。だから全部の授業に万遍なく出て解ってから、ベンチャーを起こすんだったら起こして欲しいんですけどね。適当に解って適当に起こすと、将来抜けがわかって悲しいことになるかなと。
コンピュータ関係なら何でもできるようにしておいたほうが良いということですね。
何でもできますよ。学科でも変わった分野やってる人はいっぱいいて、僕らの卒論の時から顔認識やって、いまだに顔認識の研究してる人もいるし、グラフィカルな方やってそれでウェブの世界で記述するのにいい言語はこれだって提案して本書いてる奴もいるし。学科の友達はいろんなタイプがいますよ。コンサルティングに行った奴もいるし。
理学部に入るというので、就職しやすいかどうかは意識されましたか。
学部選択の時に就職のことは考えていませんでしたね。理学部でも物理学科などですごく優秀だった奴は博士に行っちゃうから、就職のしやすさという所とは違ってくるけれども。
確かに博士まで進むと研究者くらいですよね。
でも情報科学科では、よほど妙なものに特化したのでない限り、音声認識でも画像認識でも数値計算でも、特化してるようでも働き口はあるように思えます。OSやハードウェアなら、なおさらそうだと思います。一通り授業を受けて修論でガンガンいじめられて、ある分野を習得できていれば、どこの技術者、研究者にもなりやすい。
新しく産業が芽生えてくるときにも同じことが言えて、未来の楽天やAmazonの立ち上げに関われるって言うのが情報科学科出身者のメリットだと思います。今ウェブデザイナーとかウェブのアプリとかが流行ってるけど、そういう一個の技術の周りが廃れてしまったらもう使い物にならない技術じゃなくて、全部知ってるっていうのが強い。回路が作れるならセンサーをまくときにどうするかっていう専門家にもなれるし、何でもできると思います。まだ二十年から三十年は新しい事業がIT分野で勃興し続けるでしょうから、どこに行っても最初のパイオニアになれる可能性はあります。
インタビューを終えて
大変参考になるお話を聞かせていただいただけでなく、「これは書かなくても良いけど」と面白い脱線もあり、楽しいインタビューの時間を過させていただきました。また、情報科学科で学べるコンピュータの基礎が将来役に立つという言葉を、実際に働いておられる先輩から聞くことができ、真摯に日々の学習に向っていかなくてはという気持になりました。武本様は大変話の上手な方で、質問以上のことを常に答えていただいたような気がします。武本様、ありがとうございました。