情報科学科の先輩に聞く!

現役学生OBインタビュー「先輩たちの仕事の原点」各界で活躍する先輩たちが教えてくれる“仕事の本質”

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仕事を成功させていく考え方

サイボウズ株式会社|山本泰宇さん (情報科学科19期)
インタビュー年月日
平成21年 12月 28日
山本泰宇 
現職はサイボウズ株式会社の最高技術責任者。サイボウズ・ラボという研究開発専門の子会社と合わせて、技術戦略の立案と遂行に従事。1万人以上の会社で使える大規模グループウェアの開発を担当してきたが、最近はクラウド化のプロジェクトの責任者を務めている。
久保田貴大(修士1年)、和田明菜(修士1年)
情報科学科で学べること、学ぶべきことって一体なんだろう?会社で働いて成功するって、どういうことだろう?インタビューに行った和田・久保田は、ちょうど就職活動が始まろうとする時期だったこともあり、そんなことを考えていました。今回は、稲葉真理先生に、情報科学科の先輩でありサイボウズでご活躍されている山本泰宇さんを紹介していただき、インタビューに伺いました。
情報科学科へ進学

―― インタビューを受けていただき、ありがとうございました。今日は、まず山本さんの略歴、特に理学部情報科学科に進学された経緯と、大学での研究や生活について、そしてサイボウズに入社されたあとにどんな歩みをしてこられたか、などについてお話して頂きたいと思います。よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

―― プログラマとしてご活躍されているそうですが、大学に入る前から趣味でソフトウェアを作っていたのですか?

一番よくプログラミングをしたのは小中学生のときですね。で、中学生のときにあんまりコンピュータばっかりやっていたので、親にコンピュータを壊されまして(笑)。それ以来、中学から高校までの間はノータッチですね。

―― どんなソフトウェアを作っていたのですか?

内緒です(笑)。でも当時の若者はみんなやってたんじゃないかな?という内容です。だから、最初からコンピュータ系の専門学科がある大学に行こうと思っていて、はじめは東工大に行こうと思っていたんですね。でも、親がそんなことじゃ学費を出さないっていうから(笑)。それで、東大にコンピュータ系の学科なんてあるのかな?って思ったんだけど、調べたら一応あったんですよ。理学部情報科学科がコンピュータ系の学科なんだなって思って、そこに行こうと思って入ったんですよ。

―― 研究室は米澤研を選ばれたということですが、米澤研での学生生活は面白かったですか。

うーん、そうだね。学部時代はそんなに面白くなかったかなぁ。そもそも勉強することがあまり好きではなかったからなんだけど、米澤研に入ってからようやく研究みたいなことが始められて、面白かったですね。やっぱり、人に何か教わっている間って、面白くないじゃないですか。

―― 確かに。

自分で何かやるのが、面白いかなって。まあそういう意味では、研究が面白かったんですが、さしたる成果は出せませんでしたね。研究テーマそのものが実はあまりそれほど面白くなかったのかな。それよりは、もっとソフトをいじったり、作ったりするほうが面白いなって思ってました。今思うと、一筋に真実を追究するような研究家肌じゃなかったんですね。ただ、米澤研では、ちょっと手に入らないようなコンピュータも手に入って、いわゆる実学的な面白さがありましたよ。今残っているかどうかはわからないけれど、当時の情報科学科のコンピュータシステムはかなり私が構築してましたし、卒論や修論のときにみんなが使う texのテンプレートを作ったりしていました。とかとか、私は、そういう研究じゃないことにうつつを抜かしてるって、悪名があったりしました(笑)。

―― ご活躍されていたんですね。

悪名は轟いてましたよ(笑)。だから、いまだに私のことを知っている先生はよくいらっしゃいますよ。悪名のほうですよ。ちっちゃいころから、会社入ってからも(笑)。
入社の経緯
―― サイボウズには、どういった経緯で入られたんですか。

簡単に言うとですね、入るところがなかったからです。私は博士課程を中退したんですが、そうなると、いわゆる大手企業とかには入りにくいんですね。応募段階で、募集していないところが多い。大学院をやめたのも夏学期で、7月か8月あたりからどこかに行こうかな、と思ったんだけど、その時期って企業側もなかなか採用していない。募集していたとしても中途になってしまう。しかも、中途でも、経歴を話すととってくれない。たぶん、東大の博士中退の人には扱いにくいっていうイメージがあるんじゃないかな。就職するところがなくて困ったな、と思ってよく探していたら、たまたまサイボウズがプレスリリースに「大規模なグループウェアを作ろう」っていう話を出していて、僕は「こんなちっちゃい企業が大規模なソフトウェアを作るなんて無理だろう」と思って、応募したんです。無事採用されました。

―― 博士の採用に関してですが、そういえばサイボウズさんは博士過程在籍中または博士をとったの人向けの採用枠を設けていますよね。それって、珍しいですよね。

そうですね。珍しいですね。あれも、私の体験が裏にあるんですよ。博士って、はっきりいうと、私はお買い得な商品だと思ってたわけですよ。なかなかデキそうで、しかもなかなか行く手がないなんていっている人は、コレは企業にしてみればお買い得だろう、と。積極採用している企業もあまりないなんて、もったいなんじゃないのって、思っていました。それを私はうちの人事に散々さんざん言いまして、枠を作ってもらったんですよ。成果はお陰さまで好評ですよ。ただいまいち知名度があんまりないんです。せめて、情報科学科くらいには知名度を広げてみたいかな。

―― 年間どれくらいの方がその枠で入られるんですか。

去年5名で、来年の4月に1名入ってきます。ただ効率がいいですよ。採用率も高くて、実際にいい人材がいます。
最初の仕事での経験
―― 会社に入ってからの話を聞かせてください。

それは、サクセスストーリーを話すってことなのかな(笑)。いや、その前に失敗ストーリーから話しましょうか。会社に入って一年くらいは、実は、あまりうまくいかなかったんですよ。一番苦労したのが、人間関係ですね。周囲の人間とあまりうまく意見が合わなかった。人間関係って言うのは、一方通行ではもちろんないんですが、バックグラウンドが違う人同士で、議論しあうのが難しかった。たとえば、私みたいに情報科学科出身で、コンピュータのことはそれなりに詳しいっていう人と、現場で叩き上げでやってきた人たちではなかなかやり方が違いました。私はそこをあまり考えずに、自分の意見を正しいと主張して、だいぶ周囲から浮いてしまいましたね。そのときのエピソードがあるんですよ。

<山本さん、ノートPCのモニタを見せてくれる>

これが一番恥ずかしいやつです。これは、指定した宛先に報告ができるツールで、報告書とか始末書とかが送れるツールなんです。これを使ってですね、当時 172人いた全社員に向けてですね、「ソフトウェア・アーキテクト」という役職を作れ、という報告書を出しましてですね。いや、なんでこんなものを報告書で出すんだというレベルの話なんですけどね。まあ、心の叫びですよ。「俺の仕事があんまり評価されてないゾ」っていう。当時、プロジェクトマネージャとかが評価される役職だったんですが、技術の専門職はあまりスキルアップの道がないんじゃないかっていう話をしていたんですよ。だから、技術の専門職として極めていくような職種を作ってくれないか、という話を社長を含めた全社員に向かって、ある日、いち平社員が流したわけですよ。あと掲示板に、マーケティングキャラクタに島耕作を使えっていうアイディアを書き込んだりしました。島耕作って知ってる?

―― もちろん(笑)。

まあ、ふつうこんなこと掲示板ではしませんよ(笑)。会社の中って役割分担してるから、こういうことはまず上司に相談するのが普通ですよ。担当の人が大人だったから、受け流してもらえたけど、私の名前は会社中に知れ渡りましたね。

―― 面白いですね。入社したばかりの頃の、開発の仕事はいかがでしたか。

開発の方はですね、成功といえば成功、失敗といえば失敗でした。ただ会社の方も、人の使い方を失敗したっていえるんじゃないかな。いくら情報科学科を出たっていっても、会社の仕事に関していえば、初心者なんですよ。プロの開発者としては、まだまだなんですよね。たとえば、コードが書けるっていうことと、しっかりした製品を作れるっていうこととは天と地ほどの差があるわけですね。たとえば、そのひとつが「テスト」。製品クオリティでは、しっかり仕様書をつくって、その通りに動くことを保証してあげないといけないから、学科の課題のプログラミングとは全然違う。そうはいっても、私は注意深い性格だったんで、そんなにバグは出さなかったけれども。あとひとつ、失敗したのが、データベースの開発の仕事です。とにかくスケーラブルなデータベースを作れ、っていう仕事がいきなり来たんですよ。私はデータベースの専門家でもなんでもないんで、わからないわけですよ。そもそもトランザクションてなに?っていう感じだったから(笑)。まあがんばって何か作ろうとして、いろいろ調べだしたんですよ。でもなかなかうまくいかなかった。今にして思えば、周囲に対して自分のできることとできないことをしっかり話しておかなければいけなかったと思います。自分にできない仕事を鵜呑みに受けたっていうのが、失敗だったんですね。結局、その仕事は半年くらいしてから、あんまりうまくいってないということで、終わりになってしまったんだけど。それが、一番最初の仕事の、そういう意味では失敗だったと記憶しています。

―― そのとき、データベースに詳しい人は周囲にいなかったんですか。

いませんでした。今現在なら、オンラインコミュニティとかもいっぱいあって、知識ってすごくたくさん手に入る状況だけど、まだ当時は本が主な情報源だった。本はたくさんあったし、たくさん読んだけれども、すぐに実装できるっていうものじゃなかったんですよ。基本的な知識と、設計をきっちりするというところから、やろうとしていることの難しさを最初に把握するというところを、もうちょっとうまくできればよかったかな、と思います。これは研究テーマにも言えることかもしれないけどね。自分の実力と見識を磨くステップを踏んでいかないと、やっぱりいい研究ってできないかもしれない。今は、仕事でそういう失敗をしなくなったけれども、それは経験を増やしたからというよりは、自分のできることをよく把握できるようになったからかな、と思います。これはできないな、って思ったら小さいチャレンジに分解することができるようになった。
仕事の進め方のコツ

―― その後、どのようにステップアップされてきたんですか。

私は今、会社に入って8年目ですが、仕事を続けてきたから出世したんだと思います。やめちゃった人も多いですが、私もやめようと思ったことは2度や3度はありますね。そのときは会社の方針がよくないと思っていたんですけど、会社をやめずに、方針を変えるように意見を言った。後は、きちんと仕事をしていましたよ。結婚する前までは、ほとんど会社にいました。歩いて会社に通えるくらいのところに住んでいたんですが、朝4時くらいまで仕事をして、家かえって、シャワー浴びて、二時間くらい寝て、また会社に戻ってくる、みたいな。うちの会社は朝が厳しくて、朝9時には必ずいないといけないから。ただ、みなさんも経験すると思うんだけど、プログラマって、日中は仕事なんかしやしないんですわ。日中は人がいるから、話しかけられるし、ミーティングもあるし。さっさとみんな帰れよ、なんて(笑)。だから、夜が仕事の中心になってしまって、だいぶ悲惨、じゃない、苦しい生活だったけど、成果はそれなりに出しましたよ。

―― いまはどんな仕事をされているんですか。

そのときに作っていたのが、今ガルーンって呼ばれてる大規模なグループウェアの土台だったんだけど、今はガルーン2っていう次期製品群の土台づくりをしています。サイボウズ・ラボっていうのが研究開発の子会社なんだけど、そこのメンバにインフラの仕事をしてもらいながら、製品側につなげていくような計画を立てたりするのも、今の仕事です。

―― 出世のコツを教えてください。

お話しましょう。会社のね、「方針」ってあるじゃないですか。それを実現してあげることなんです。会社の方針ってよくないことも結構多いんです。そんなときは、そこでどんなに努力しても、会社はうまく事業成果をあげられないんです。それはなんとなくわかる?ある方向に時代が向かっているのに、別の方向に会社が向かっている場合ですね。そういう場合は、そもそもそのプロジェクトに乗っかっちゃダメなんです。正しい方向に修正してあげないといけない。要は、言うなりに働くってことではないんですね。成功するように働く、つまり、会社が良い事業成果を出せるように働いてあげることなんです。

―― なるほど。そういうエピソードはありますか。

5、6年前にした、オープンソースの導入の仕事ですね。その頃まだうちの会社は、自社製のコード以外は信用しないという方針でやっていました。今では、オープンソースはみんな当然のごとく使いますよね。たとえば、SSLを一から実装するなんて考えられないでしょ?こんな便利なものを使わないなんてありえない、といえば、今現在なら誰しも納得すると思うけど、その頃はサイボウズは外部のコードは全く使っていなかった。今は、MySQLやPHPとかいろいろなオープンソースを使っているけれど、そういういわゆる大物の前に、zlibみたいな基本的なものを導入するのも当時は大変だった。だけど、これらを導入していかないと、うちの会社はソフトウェア開発力という点で競争力を失うという状況だった。だから、導入するように働きかけました。オープンソースを使わずに、ソフトをいちから作るのが、うちの会社のバリューじゃないと思っていたし、お客さんも、グループウェアの後ろで動いているのが何かなんてきっと気にしないと思っていた。それを気にするよりは、たとえばオープンソースがアップデートされたらきちんとパッチがあたるようにするとか、うまく使っていって、ソフトウェア開発力を上げていきましょうねっていう話をした。それ以来、あんまり抵抗感なくオープンソースを使っているね。

―― 「こうした方が会社が伸びる」という意見をきちんと言うんですね。

そしてそれを実現してあげて、初めて評価されるということですね。会社の方針を作るのが経営陣だから、最終的に経営陣に入るのが出世のステップだとして、「会社がどこに向かっているか」には常日頃から注意をしていたほうがよいと思います。平社員のうちからね。上の言うことは、もちろん配慮しなきゃいけないんだけど、そのままだとやはりうまくいかないことも多いんですよ。じゃあそういう時はどうするか。やはり自分の見識というものを加味して、「こうしたほうが良いですよ」と上に伝えて、信任してもらうのが良いと思います。経営陣だって、下からのフィードバックを欲しがっていますよ。逆に、上に対してフィードバックをしないんだったら、下って、取り換え可能な部品になっちゃうじゃないですか。取り換え可能な部品は評価されないんです。それこそ、外注で賄えてしまうものになってしまうんです。なんで自社の社員にしておきたいかというと、それが取り換え不可能な部品だからなんですよ。経営の一角であることは、平社員のうちから意識したほうがいいんです。「自分はこの会社の方針を作る一員である」と。そのためには、いつも世の中の動向を理解していて、それを踏まえて提案できるようになっておく必要がある。もちろん最初から自分の意見が通るわけじゃないよ。ただ、私がやったオープンソースの仕事の場合は、経営陣にはない、自分の専門領域だったから役に立てたんだと思う。学生のころからオープンソースのコミュニティには馴染んでいたから、導入にも抵抗がなかった。

―― 情報科学科の学生が聞いたら、がんばるぞっていう気になれそうな話ですね。

だって、今の「ソフトウェア」の分野なんて、どんなスーパーマンでもすべては扱えないくらい、膨大な領域ですよ。たとえば、昔はWebなんてHTMLと CGIが書ければだれでも作れるっていうイメージだったんだけど、今なんてWebといえば複雑極まりない分散システムの代名詞ですよ。もう一人の人がすべての仕事はできません。専門領域っていうのは、そういうところに生まれてきて、かつそれぞれの専門領域について期待することもやはり大きいんです。

―― 自分の専門領域で勝つ、あと、フィードバックするということ。

次に、会社に入って、誰もやっていないことをやるっていうのも重要ですよ。これは、それだけで専門性を発揮している状態です。他の人がやっている仕事を、大勢の中のひとりとしてやるのは、やはりバリューとしてあまり高くはない。それは、今度は「会社の中で」置き換え可能な部品だから。もちろん、みんなそれぞれ大勢の中のひとりとしてプログラマをやってるんだけど、その中でも「この人はこのことを、すごく目立ってやっている」ということを目指すと良いと思う。最近うちの若手で目立っているのは、Javascriptが得意な人で、アプリケーションサイドで「こんなことができると、面白いと思いませんか」みたいな提案をしてくれている人がいるんだけど、彼はやっぱり若手のホープとして目立っていますね。これは、他のひとがやってないからなんですよ。他の人がやっていなくて、かつ、会社としてニーズのありそうなことをやるというのが、すごくいいですね。で、他の人がキャッチアップしてきたら、自分は次の位置にサッサと行くというのが、「勝ち逃げパターン」ですね(笑)。

―― パイオニアですね!

誰でもできることではなくて、誰もやっていないことにフォーカスするのがよい。たとえば、ワープロソフトや表計算ソフトを、私が覚えても私の価値はあがらない。そういうことは、他のできる人に「やっておいてね」と頼んで済ませる。その代わり、自分にしかできないことを考える。実際、東大のみなさんだったら、その自分にしかできないことで実力を発揮する機会が多いと思うんですよ。勉強する方向は間違えたらだめだよ。みんなができることは、勉強したらだめだよ。
学部時代に学んだこと

―― 米澤研を選ばれたポイントは?

CPU演習でコンパイラを作って、面白いなって思ったからそのまま言語の研究をしている米澤研に。

―― 学部時代に学んだことは?

授業だとグラフとか、情報理論とか、ラムダ計算とか、基本的なことが学べた。授業より、本を読んで勉強したことが多かったかな。あと、演習はどれも面白かった。情報科学科のみなさん、演習がんばってくださいね。

―― ありがとうございます。

なかでも、いま実学的な意味で役に立つのは、データベースとセキュリティです。たとえばメッセージ認証コードなんて使わない場面がないですよ。ただ、型理論とかはあんまり出てこないかな。ドットネットなんかは、理論的な背景もかなり持ってるんだけど、使うのに理論をたくさん勉強しなければいけないのだと、プロジェクトの中では生産性を低下させてしまう。製品という視点では、理論的な複雑さはむしろ隠すほうが重要。

―― そうでないと、普及しないんですね。

もうひとつ、わかりやすい例でいうと、コンシステンシーをゆるめる話が多いじゃないですか、Amazonとか。昔ながらのACID的トランザクションは、大規模なwebシステムには実現されてないんですよ。これはバズワードかもしれないけど、BASEみたいな。聞いたことある?

―― ないです。

これは、コンシステンシーを緩めるけれど、最終的には、必要な基準でコンシステントな仕組みに変えていきましょうみたいな話です。Webのほうである話なんだけど。でも、難しいことは隠したい。利用者視点では、使いやすいようにするんですが、"eventually consistent"ですよ、みたいなことは言いたくない。例としては、アマゾンだと、注文ボタンを押した後に、あとで在庫がありませんというメールが来たりする。なんでそこはアシッドじゃないんだ、っていう不満をもつ人がいるかもしれないけど、あれは、書き込み優先でかならず注文は処理できるようになっているから、後でメールが来て在庫が切れていることを報告する、というコンシステンシーの保ちかたをしているから、出てくる制約なんだ、とかね。

―― お金を払ったのに商品が来ない、ということは起きないですね。

そう。こういうことは、サイボウズの大規模向けのグループウェアなんかでもけっこう出てきますよ。というのも、データベースが分散してしまうと、どうしてもアシッドなコンシステンシーって保てないんですよ。だから、なんらかの制約が出てきてしまうんだけど、その制約がなるべくユーザの目につかないようにする。

―― 情報科学科に入って学んだことは今でも役に立っていますか。

それは役に立ってますよ。いま身につけてるものって、基礎の上に身に付けたものですから。基礎を知らないで、なにかを身につけるっていうのはすごく大変なんですね。実際、会社に入ってから「基礎を勉強しておきたかった」っていう情報系以外のプログラマがよくいます。でも、会社入ってから基礎を勉強する時間ってないんですね。だから、情報科学科に入った一番のメリットっていうのは、たっぷり基礎を勉強できる時間があることですね。それこそ「情報の定理」なんていうのを勉強する時間は、社会人になってからはないと思います。とはいえ、ひとつの専門分野を基礎から勉強した人っていうのは、他の専門分野もちゃんと学んでいける土台がついてたりするんだけどね。土台というと、数学の素養があると便利。あと、日本にいると、英語を身につけないといけないけれど、英語は本当に重要だよ。読み書き・・・。書くほうも、がんばってる?

―― 今でも、卒業論文と修士論文は英語です。

あのあたりは、鍛えられるポイントなので、きちんとやりきるといいと思います。日本人は中学と高校で読む訓練をたくさんするから、読むのは得意なんだけど、書くとか話すとかになると途端にできない、っていう傾向があるかもしれないね。機会が少ないですからね。

―― 今年から大学院の授業で、英語のプレゼンテーションと論文作成の授業が新しく導入されました。ちなみに修士では必修になりました。

機会を増やすしかないですよね。プレゼンテーションと言えば、最近私は凝ってて、あ、資料を作るのに凝るんじゃなくて、プレゼン技術に凝っています。昔はね、がんばって資料を作っていたんです。まず資料をつくらなきゃ、って。最近は、資料なんてなくたってよくて、結局話す内容が大事なんだって思うようになった。だから、どう面白く話すかにずいぶん工夫している。資料がどの程度本当に必要なのかは、一度資料を作らないでプレゼンしてみるとわかるかもしれませんよ。資料なんて、論文と同じで紙なんだから、読んで済むんだったら配ればいいんですよ。なんで人がわざわざ出ててきて聞いてくれるのか。それは、話を聞きたいのであって、資料の説明をされたいからじゃないんだ思うんです。だから、話してる内容を面白くしてあげないといけない。このことは、すごく基本中の基本なんだけど、その基本に立ち返るとプレゼンはぐっと面白くなる。インタラクティビティとかね。たとえば、質問するとか、手を挙げてもらったりとか。そういうところから始めて、「参加してる感」を作ってあげるのもいいよ。

<※山本さんは、ある講義にゲストとして話をしに来て下さったことがあり、非常に好評であった。※>

―― これから発表をするときのことを考えると、とても参考になります。修士より先は、学会で発表することも多いでしょうから。ところで、コンピュータ科学専攻の修士課程は、授業もほとんどなくて、自由に使える時間がたくさんあると思いますが、山本さんはどのように過ごされていましたか。

えーとね。朝7時に帰って、夕方5、6時に出てくる毎日でしたね。

―― えー(笑)。

まあ、そういう人は多かったですよ。完全夜型ってやつ(笑)。今でもそういう人はいる?

―― はい。(もちろん、という表情で)

冬場なんか日の光をみない日が何カ月も続いたりして。僕は米澤研だったから、となりで同じように夜型になっている平木研のひとたちとよく一緒に朝ご飯を食べに行ったよ。朝ご飯を食べてそのまま家に帰る。

―― プログラムを書くのって、夜の方がいいんですか?

断然、夜ですよ。実装は夜に限る。たぶん、俺自身が人に話しかけちゃうタイプだったから(笑)。夜に人が少なくなってからの方が良かった。その頃から平木研とは仲良くしてますよ。いまだって、うちの会社には平木研のひとが3人くらいいます。米澤研はいないですけどね。
大学と会社の違いとは
―― その後、博士に進まれたそうですが、なぜ博士に行こうと思ったんですか。

修士に進んだときもそうだったけど、それしか考えてなかったからです。その一つの理由としては、他の人と一緒に仕事をしていく自信がなかった。性格がね、唯我独尊タイプだったから。ただ、結論としては、いままで会社でやってきたし、うまくやれたんだなって思うよ。当時は他の選択肢をすべて排除して、研究者になろうって思っていたけど、結果論としては研究者には向いてなかったんですね。他のもっと楽しいことをどんどんやっていたし。さっき言ったオープンソースの話とか、学科のシステムの話とか、そういうシステムに対してなにかする方が面白かった。たぶん、一日中パソコンを触っていて楽しいっていう人は、研究には向いていないかもしれない。もっと実用的な仕事をした方が楽しいかもしれない。

―― それで、博士を中退されて、就職されたんですね。

視野が狭かったんだと思いますよ。ただ、若いうちにこういう失敗体験をすると、人間が強くなるとも思います。特に、最近ひ弱な人が増えたって聞きます。特に東大生なんですよ、実は。東大生といっても、就職した直後は平社員なんですよ。東大生は、あまり挫折したことがないことが多いので、会社で上司に「それは違う」と言われたときなんかに、落ち込んでしまったりという話をたまに聞きます。そういうひ弱なところを、就職活動のときに見透かされてしまって、落されてしまうことも、あると思います。もしかしたら、東大生にとって、就職活動が第一の挫折ポイントになる可能性がある、っていうくらい世間では東大生に冷たい風が吹いてるかもしれませんね。でも、人生は長いんで、いいんですよ。大きい失敗を、若いうちにしておいて、自分のできることとできないことをわかっておく。そうすると、効率的にステップアップできるんですよ。早いうちにわかっていた方がいいんです。こういう仕事は向いてないけど、こっちの仕事は俺は大好きだし、これでがんばろう、みたいなところの見極めというのは、早いほどよい。学生時分とか、20代の若いうちにそういうことをやっておくと、その後の伸びが違うと思います。

―― 大学と会社は、どんなところが違うと思いますか。

全然違いますけど、まず、大学はお金を払って勉強するところで、会社はお金を頂いて働くところです。義務かそうでないかの違いは大きい。大学は授業に出たくなければ出なくていいし、好きにしてればいいけれど、会社で働く時間は自分のものじゃない。会社の業績をあげるためのものなんですね。会社のことばっかり考えている必要がある、くらいの義務が発生していると考えてください。実を言うと、会社から帰った後でも、できれば会社のことを考えていてほしいくらい。というのは、会社にいるときよりも、家でゆったりとしている時の方が考えが深まることがあるから。それで、なんでそこまで自分の時間を投資できるかというと、そこに自分の人生を投資しているからなんですね。お返しに給料をもらっているからじゃないんですよ。私だったら、この会社で働いて、世界的な製品を作れれば万々歳だっていう、自分の人生の方向性があるので、そういうシナリオを作るために努力しています。給料をもらっているっていうのは建前ですね。くれなければくれないで困るけど(笑)。自分はこの仕事で自分の人生を彩り豊かにしたいと思えるようなところに就職すると面白いですよ。

―― なるほど。

あとは、会社で働くと自分とは違うフィールドで働く人たちに会えます。大学の研究室は、周囲に同じような研究をしている人しかいないこともしばしばだけど、会社は、プログラマもいれば、人事のひとも営業のひともいる。それぞれやってることも違えば、考え方も違う。話だって、今月の売上げの裏にはこんな大型の案件があって、営業さんがどんな風にがんばって仕事をとってきた、なんていう話を聞くのも面白いです。だから、いろんな刺激を受けるのが好きっていう人には、会社のほうが断然面白いと思いますよ。大学の研究室でも、自分と別の分野の研究をしている人たち、情報系じゃなくて、たとえば、生物とか物理とか天文のひととかの話をきくと、また違ったアイディアが湧くという話を聞きますね。やはり、視野が狭いとなかなかいい研究ができないんじゃないかな、という気がするんで、大学の中でも、そういう付き合いを大事にするとよいような気がします。
学生に向けて

―― 最後に、進学振り分け前の学生と、情報科学科の学生に対してなにかメッセージをお願いします。

じゃあ、すごい厳しいことをいいましょうか。はっきり言うと、日本の情報系の学生っていうと、外国の学生たちと比べて、競争上、相当たいへんなことになっています。学科の内容だけみても、日本の教育内容は薄いです。東大の情報科学科よりもはるかに厳しい授業と実習内容を、インドや中国の学生はしているんですね。アメリカは言うに及ばす。そんな中で、どんな風に自分のバリューを残していくかっていうのが、課題になってくると思います。でも、悲観しなくていいよ、って思うのは、そういう人たちとも仲良くやればいいじゃないか、と思うからです。日本の国旗を背負って、追いつけ追い越せ、っていう時代じゃないでしょ。ただ、自分たちよりずっとできる人たちが海外にはいるということを意識して、グローバルな視点をもって研究または仕事をやっていくといいと思います。

―― そうなんですね。

やっぱりね、ぬるい。ただ逆に、日本にいるからこそ得られていることってあるじゃないですか。日本は豊かで、文化というのは、豊かなところに芽生えるもので。日本特有の文化ってあるでしょう。

―― ゲームとか(笑)。

そう。日本人て、なんでも面白くてゲーム感覚にしてしまうところがあるのかもしれないです。だから、西洋文化と比べると子供っぽいと評されることもあります。だけど、逆にそれが強みになって、ビジネスも子供っぽく上手にできるかもしれない。そういうソフトパワーを生かして、うまくやれると面白いんじゃないかなと思います。

―― 外国の教育水準が高い、という話を聞いても実感としてピンとこないところがあったんですけど、やっぱり高いんですね。

それは、インドや中国に視察に行くとわかります。ただ、やっぱりここでも差別化が重要で、インドや中国の学生が束になってできることを、同じ気になってやっても、バリューは上がらない。よく言うんですよ、真正面から戦争をするのはバカだって。会社同士のことでもよくあることで、全面戦争というのは、大きい会社同士でやっていればよい。小さい会社は、戦争したって負けるのはわかってるんだから。戦争しないで、勝つ。他の人たちが手を出さないところを、勝ちとっていったらいつの間にか大きくなっていた、っていうのがいい戦略ですね。個々人の人でもそう。他の人とガチンコ勝負をしないことがコツ。というわけで、今日の教訓は、ワープロや表計算ソフトは勉強しないこと(笑)。

―― 大変興味深いお話を、どうもありがとうございました。
インタビューを終えて

インタビューで招いていただいた応接室は、写真の通りの絶景で、季節がら紅葉がとても美しく見えました。山本さんは物腰柔らかでお話が上手な方で、インタューさせて頂くのが非常に楽しかったです。その一方で、サイボウズにて第一線でご活躍されていて、「仕事を成功させる考え方」について深い洞察をされ、それを実践している山本さんのお姿は、我々学生にとって尊敬できるものでした。先輩がご活躍されていることを誇りに思うと同時に、私たちも勉強と研究を大いに頑張ろうと思いました。インタビュー記事にある通り、山本さんは先日東大にゲストでお話をしに来てくださったのですが、私(久保田)は聞きそびれてしまい、非常に面白くてためになったという感想だけを伝え聞きました。ちぇっ。帰りにサイボウズのマスコット的お菓子、「ボウズマンチョコ」を貰った(もったいなので、いまも冷蔵庫の中で保管中)ので、それで我慢するか。山本先輩、今回は本当にありがとうございました。