情報科学科の先輩に聞く!

現役学生OBインタビュー「先輩たちの仕事の原点」各界で活躍する先輩たちが教えてくれる“仕事の本質”

座談会トップへ戻る

大型計算機設計から組み込みシステム研究まで ― 応用力の高い情報科学科

日立製作所|中川八穂子さん (情報科学科3期)
インタビュー年月日
平成21年 3月 25日
中川八穂子 
情報科学科3期生。
現職は、日立製作所 中央研究所 組込みシステム基盤研究所で、デジタルTV等の組込みシステムの基盤技術の研究を行っているが、入社から20年余、一貫してエンタプライズサーバ事業部というところで、メインフレームやスーパコンピュータ等大型コンピュータの装置開発/性能評価を担当してきた。
中川雄一朗(学部3年)、野瀬貴史(学部3年)
ハードウェアの設計と、「なぜ情報系には女性が少ないのか?」について常々考えていた。情報学科のOGの中に「女性で論理設計をやる人がいる!」と有名だった方がおられると聞き及び、ご紹介いただきました。
お仕事について

それでは、簡単に今までの経歴を教えてください。
81年に入社した時から、神奈川県秦野市にある神奈川工場(今はエンタープライズサーバ事業部と呼称)でスーパーコンピュータ・銀行や証券会社が使っているメインフレームと呼ばれている大型コンピュータ・UNIXサーバなどの大きい装置の設計をずっと担当してきました。

この中央研究所には、組み込みシステムの基盤研究をするということで、去年の4月に異動してきました。
ハードウェアの設計というのは入社からすぐに始められたんですか?
そうですね。学部の時にはデータベースが専門だったのですが、CPU演習(今はFPGAで組んでいると思いますが、当時はTTLで組んでいまして、ラッピングでユニバーサル基板上にCPUを作る演習をしていました)がきっかけでハードウェア・CPUの中身に興味を持つようになりました。

それからいろんな会社を見て回って、日立の神奈川工場という所だとCPUやそれを取り巻く装置の設計ができるということで、ハードウェアの装置設計をするところに配属されました。

東京大学の大型計算機センター(現在の東京大学弥生キャンパスにある情報基盤センター)に納入する製品も担当していたりもしたんですよ。
就職先を選ばれるときは、ハードウェアをやりたいという希望があって、それができるところを探していた、と。
はい。ただ、ユニバーサル基板しか扱ったことがなかったので、大きな装置は難しいだろうということで、中・小型を希望していたのですが、しかし実際にはスーパーコンピュータを扱うところに配属されました。

今はSystem-on-a-chipと言われるくらいで、1チップの上にシステムが載る時代ですが、当時は大きさで8x3メートル、重さで15トン、電気は300kWも必要で、CPUを構成するだけでも、箱が何箱もいるというものでした。
当時はCPUを設計する際はどのようなやり方をしていたのですか?
設計者はA1の大きなトレーシングペーパーの上に鉛筆でゲートや論理式を書いていました。設計者が書いたものからロジックダイアグラムという形で電子ファイルに入力するオペレータがいて、それからさらに本当のゲートレベルに落とすところは、日立内製のEDAツールを使っていました。

なにせLSI1個あたりのゲート数が少なかったので、どういうLSIを作るか?と言うよりは、こういうCPUが作りたい。ではそれをどのようにLSIに分割するか?という考え方でやっていました。だいたい5年サイクルで開発していましたね。
5年サイクルで設計というと、コンピュータの進化は非常に速いわけですけれども、今から5年後のコンピュータがどうなっているかは想像がつきにくいのですが・・・
当時も今もあまり変わっていないのですが、このようなコンピュータは5年ほど使ってから更新するという使い方が多く、お客さんも4、5年先の需要を見越して計画的に導入されるので…

ただ、90年代後半を過ぎるとCPUの進化が非常に速く、毎年毎年新しいCPUが出るようになったので、日立としても毎年モデルを出すようになりましたし、お客様のご要求があればアップグレードもすることもありました。

アップグレードは本当に大変です。CPUの載せ替えをやったり、ノードの数を増やしたりします。最近では始めから「2段階調達」を前提にするケースも増えてきました。電源効率も含め、よりトータルなコストを抑える方向に向かっているようです。
性能をあげるために具体的にはどんなことをするのですか?
例えば、方式を決めてシミュレーションをし、だいたいのコストや電力や性能を計算するわけですが、その方式をゼロから変えてしまいます。

あるいは、最初はベクトル型スーパーコンピュータを作っていましたが、スカラー型をたくさん並べてベクトル的な演算をする融合型を作るようになったり、IBM社と提携してPowerプロセッサを使うようにしたり、ビジネスモデルも変えたり…

トレンドを守るため、性能価格を守るためにテクノロジの進歩にしたがって一番合うアーキテクチャを採用してきた、という感じですね。
今まで設計したなかで、一番印象深いアーキテクチャはどのようなものでしたか?
私が関わってきたなかで一番印象に残っているのはSR8000ですね。ベクトル・スカラ融合型です。今までにない方式だったというのもありますが、個人的には、一人で始めたプロジェクトだった、というところが印象深いですね。

通常、プロジェクトを始めるときは通常「課」というユニットを組みます。そこで、グループ長になったのですが、「グループ員はいないから!」と言われてしまいました。事務所をどこにするか、であるとか、ワークステーションをどういう風に買うかなど、そういうところから始めたので、非常に印象深いですね。製品に関しては、どちらかというと装置側を担当しました。もう一人プロセッサアーキテクチャ担当の人がいて、二人して「生みの親だね(笑)」などと言っていました。

新しい方式だと、最初はあらかじめ対策したところ以外の思いがけないところで性能が出ないんです。なので、きちんとした性能を出すようにするのに苦労しました。最初のモデルの後、新しい製品を出すと、動作周波数はそれほど速くなっていないのに「3倍速くなった!」とお客様から言われたりしました。少しずつ制御回路を変えて性能向上をして、手間がかかりましたね。

工場にいると、製品は子供のようなもので、そこが研究所とは違います。論文・発明・特許とは違ってお客様が業務に使うものですから、止まると新聞に載ってしまったりします。そういう意味で、責任もやりがいもある仕事ですね。

女性の技術者として入ってこのような仕事を任されるというのは、残業の制限もあり、他の企業ではなかなか難しかった時代というのもあります。
えー、そんな制限が。
80年代初頭は雇用機会均等法がありませんでしたから、事業所採用しかなく、本社採用がないなど、就職の入り口からして違いました。また、労働基準法で女性だけ残業時間が縛られたり、働く環境もかなり厳しいものでした。

雇用機会均等法というと、就職のことだけを規定しているような印象を受けるかもしれませんが、会社に入った後の扱いについても規定されています。専門職と一般職に分けられて、専門職については、ある程度男性と同じように働けるように制度面が整備されました。

雇用機会均等法ができる前はいつも時間に追われて仕事をしていた印象があります。もっとも、雇用機会均等法ができた後に子供が生まれたので、どちらにしろいつも時間に追われていましたが(笑)。そういう中で基幹的なサーバを担当させてもらい、自分を育ててもらったことには会社にだいぶ感謝しています。

幸い、大型機は開発サイクルが長いため、2、3ヶ月単位の短い締切りが存在しません。例えば、「この機能をRTLに落として論理検証する」のに半年かけます。そこまでは非常に忙しいですが、出荷間際になると、品質保証部という別のチームが中心になってテストをし、設計部門はそこで指摘された点を対策していくだけになるので、24時間マシンに張り付く必要はありません。なので子育て的には助かりました。大型機をやっていて良かったとも思いました。
当時の情報科学科時代
ここ最近、情報科学科は女性の進学者が0名の年が続いています。大多数の女の子が「情報」と聞くだけで「(笑)」みたいな感じで(笑)。

それで、進学を検討している女の子へのメッセージ等頂ければ、と思います。昔の女性の割合はどのぐらいだったんでしょうか?
私の頃は小さな学科だった。15人くらい。そのうち2人が女の子でしたね。
うちの代は0ですからね(笑)。
でも、東大全体では増えてるんですよね?
数年前三割を超えたんだったかな?(後註:実際はまだ二割。願望の表れか)
理二は多いでしょ?
理二だけだったら三割を超えてたような気がします。
それは多いですね。

当時は理学部情報学科は立ち上げたばかり。理学部の中でも非常に「新しい学問」ということですごい人気があった。今でもプログラミング演習っていう時間があって、それがすごく多いと思うんですけど、多分実験より楽なんですよね。
それはありますね。
例えば化学実験だと、必ず実験室に行って何かやらなきゃいけないじゃないですか。何かというと変だけど(笑)測定したりとか。それとは違ってプログラミングは、ある意味頭の中で考えていれば、あとはとにかく流して集積していくだけというか、考えてる時間がほとんど。

私は当時運動部に入っていたんですね、バドミントン部のキャプテンだったんですが。
え、それは運動会ですか?
そうです。当時は体育館が駒場にしかなくて、本郷キャンパスに移ってからも練習は駒場に行かなきゃいけなかったんですよ。それで「ああもう実験がある所はだめだ」と思って(笑)。そういう意味で、情報科学科はすごく自分で時間が作りやすいのが魅力としてありました。

もう一つの動機としては、言語理論というものにすごく興味がありました。チョムスキーとか(笑)。言語やりたいよねーっていうと、あの頃はやってるのがここぐらいしかなくて、迷わず情報科学科に進みました。
最近のIT人気
今女性が少ないと言うのは、情報系って色んな方がおられると思うのですが、そういう方々が『「どういう道に行くのか」というのがよく見えない』ということがあるのではないかなと思います。
それは、卒業して、ということですか?
そうですね。研究者になれるんだったら別にいいわけですよね。学部と院で分野が違う研究者の人も沢山いるわけで、そこは先生次第。

でも、学部とか院を出て就職する、となるとやっぱり学部は重要ですよね。そこで就職先として「3K」みたいな(笑)そういうイメージが先行しちゃってるというのが、やはりあるんじゃないでしょうかね。
なるほど。学部とは別に、いわゆる「情報」というもの自体の人気が、どうも下がってるような気がするんですが。

MITでも若干女子の比率が下がって来て困ってる、といったニュースを小耳に挟んだ気もします。東大でも、僕らの代の少し前ぐらいから進振り点数も底割れしてるんですよね…
それはびっくりですね。当時はほんとに平均点が高かった。
これはあくまで憶測なんですが、日本も「IT革命」とかやってたじゃないですか、森首相とか小渕総理とかの頃に。もちろんそれがADSL整備とかいい影響を及ぼしたとは思うんですが。

それがいわゆる「ITバブル崩壊」と言われる現象を経て、最終的に「ホリエモン逮捕」あたりで、まるで巷では一気に「IT終わった」みたいな感じになってるのも一因なんじゃないかなーと。単なる流行廃りに見られちゃったのが原因なんじゃないかと思ったりするんですけれども。「情報」というものがこれから役に立ちそうに、世間的にあんまり見えないってのは感じますね。
確かに以前の夢みたいなのがちょっと萎みかけてるというのはあるかもしれないですね。

でも、最近はそれと逆の盛り返す動きもあって、オバマさんの「グリーン・ニューディール」とか、あと日本政府の同じような「グリーンIT」とか言っていて。それは単純に、サーバの消費電力を下げるといった単純な省エネの側面もあるんですが、それ以上に「ITを利用して他分野で省エネ・省資源しよう」という意味合いが強くて。
紙とか使わなくていいですもんね。
そうそう、「Green by IT」っていう。IT機器自体の省エネ・省資源は「Green of IT」で、それに対して「Green by IT」。

例えば交通情報システム。渋滞を避ける、とかいうのもその一種だと思うんですよね。
なるほど。アイドリングが少なくなる訳ですね。
そういう流れもあって、私から見ると、去年のリーマンショック以降、実は情報系は悪くなく、HITACHIでも情報通信部門は非常に業績が良いんですよ。ITそのもの、ではなくて、ITを使ってもっとより快適に、という方向になっていく。そのための欠くべからざる技術っていうのが絶対あると思います。
ほんとうにそうですよね。僕ら情報屋から見れば、「僕らの持ってるあの技術を活かせばまだまだ効率的になるじゃん」と思うものが世界に溢れていますよね。
車、とかもそうですけど、電力網の整備なんかももっと効率的にできるという試算がありますね。だから新しい技術もどんどん出てくると思います。

例えば、太陽光発電というとデバイスのイメージが強いですが、うまく発電できたとしてもそれを消費地に効率よく貯めて、運べなければ意味がない。そこはどうしても情報系の力がいる。

今まではその電力グリッドっていうのが、発電所で発電した電気を各家庭・工場にバーッと配ってた訳ですけど、各家庭の屋根に発電ということになると、需要と供給をもっと細かに管理しなければならなくなる。そうなってくると、絶対情報系の技術が要りますよね、という話。「グリーン・ニューディール」なんてものもありますが、そういう場所でITは今後伸びていくでしょう。
応用力の高い分野
あと、情報をやってる人って言うのは割につぶしが利くんですよね。

アルゴリズムというのは色んなとこで同じように出て来るんですよね、セールスマン巡回問題とか(笑)
あらゆるところで出てくる。根本的な考えは一緒なんですよね、その適応される対象が様々であるだけで。そういう色々な対象を扱える方法、アルゴリズムを磨いていくのが、情報という分野だと思います。

また、ITそのものとして今後大きく変革していく部分としては、プロセッサとメモリが全然違う速度で進化しているので、CPUの構成という物が大きく変わっていくのではないかと思います。

例えばデータベース検索にしても、メモリには圧縮データを入れておいて、CPUにそのまま持って来てその場で展開してサーチした方が速かったりするんですよね。それは昔では考えられなかったこと。昔はCPUが遅くてメモリが速かったので。そういう風にアーキテクチャを新しくする。

また、一つのCPUを速くするのが難しくなってきたので、マルチコアが当たり前になっている。そうすると、アルゴリズム自体も並列計算に向くものに替える必要性と言うのが必然的に出て来る訳で、そういう分野も今後伸びると思います。

というわけで、情報というものは学部・院として非常にいい選択だと思います。たとえ、そのまま「情報」の研究をし続けていかなくても、その基礎を学んでいることによって、本当にやりたい対象が出て来た時に応用して使える、というメリットがあります。

私がハードの設計に抵抗無く入れたのも、ソフトウェアもハードウェアもアルゴリズムの基本的な部分が一緒だから。違うのはソフトウェアが基本的にシリアル実行なのに対して、ハードウェアではパラレルにデータが流れる。そういう意味で基礎的な力と言うものは、どこでも活かせると思います。
この学部を選んで良かった!と思わせられる、いい話をお聞きできました(笑)。つまり、後からの選択肢が広いってことなんですよね。

どうもありがとうございました。
インタビューを終えて
日立中央研究所は、微小なICチップを搭載した入館証や先端的な研究などの最新技術が、けやきやシダの古木生い茂る鬱蒼とした森に構えられた施設の中で行われていて、とても新鮮なところでした。
中川さんは現在は管理職にありながらも、最新の技術や話題にも精通なさっていて、後輩として身を引き締めるとともに、この学科に入って良かったと再確認させてもらえるインタビューでした。