情報科学科の先輩に聞く!

現役学生OBインタビュー「先輩たちの仕事の原点」各界で活躍する先輩たちが教えてくれる“仕事の本質”

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臆せずチャレンジを

株式会社リコー|金崎克己さん (情報科学科1期)
インタビュー年月日
平成21年 3月 18日
金崎克己 
情報科学科1期生。
株式会社リコーの技師長、研究開発本部に所属。

1982年にリコーのソフトウェア研究所立ち上げのために入社し、データベース管理システム、図書館システム、ドキュメント管理システムなどの研究開発を推進してきた。
リコーのプリンターや複合機をオフィスのIT環境の中で活用する提案に加えて、新規事業も模索中。
青島良一(学部3年)、野瀬貴史(学部3年)
情報科学科第一期の学生である事、学生時代にUnix移植作業に携わった事を聞き、是非ともお話を伺いたいと思いました。研究開発という業務内容にも興味があり、お仕事のお話・学生時代のお話共に、自身の為にもなるお話が聞けたと思います。
お仕事内容について

?現在のお仕事の内容を教えてください?

技師長という立場は説明しにくいのですが… どこかの部門の長ということではなく、全社に対してソフトウェアの分野を見る、専門性で貢献が期待されている立場です。会社の方向性、特に技術戦略… たとえば、「こういう技術は会社として取り組む価値があるのではないか?」「こういう部分はきちんと押さえておかなければいけない」ということを考える場に貢献しています。そのほか、色々なプロジェクトにアドバイスやコメントをしています。

また、海外と共同研究や共同開発をする時に、最初に道筋をつけたりすることもあります。中国に研究所を作った時にその立ち上げにかかわったり、ここ数年は、ドイツやハンガリーの研究機関と共同のプロジェクトを進めていました。

?では、海外に出られることも多いんですか?

多い人はもっと多いですが、一年に2,3回は。

?一度にどれくらいのプロジェクトに携わるもの?

私の場合は各プロジェクトにそれほど深く入り込むわけではありませんが、メインが2,3個、そのほか時々議論に参加するものが2,3個、あわせて5,6個ほどのものに携わっています。
はじめての情報科学科進学
――お仕事の事はまた後程…先に学生生活についてお伺いします

?第一期ということですが、情報科学科の方への進学を決めたのはいつごろ?

進振りのアナウンスの時になりますね。行けたら良いな、という気持ちはありましたが、当時は本当に情報科学科が設立されるかどうかがわからなかったので。

?当時の定員は?

15人でした。

――今は30人くらいになっています。最近生物情報科学科という新しい学科ができましたが、そちらは10人程の定員だとか。

?情報分野に行きたいという気持ちは、大学入学当時から?

大学に入ったころは、マイクロプロセッサが世の中に出てきたころ。皆がマシンに触れられていたわけでもなく、私も大学に入るまで、そういう気持ちは無かったです。

1年生のときに、プログラミングができる全学ゼミをとって、面白いな、と思いました。その後、國井先生(注)のゼミもとって、そこから、情報科学科に行けたら…という気持ちが出てきました。

?では、プログラミング自体をはじめたのは大学1年?

そうですね。高校では何もやっていませんでした。当時、ヒューレット・パッカードのプログラミング電卓という、 50ステップ程プログラミングできる物があり、はまった事もありましたが、それも大学に入ってからです。

?もし大学一年でゼミに入っていなかったら、何を専攻していたと思いますか?

実験物理あたりかもしれませんね。高校のころは物理部にいて、レーザーを使った光学の実験をしていました。そのころから光学には比較的興味があったかもしれません。 リコーに入社したというのも、そういう関係があったのかも。
進学してみて
?一期生だと授業・制度等が確立されていなかったと思いますが、当時の情報科学科の授業はどのような感じでしたか?

確かに、まだ情報の授業だけでは単位が足りませんでした。特に最初の1年、つまり3年生のころは、外の授業をたくさん取らなければなりませんでしたが、幅広く勉強できてよかったと思います。

?情報科学科の授業で、一番印象的だったものは?

私はやっぱり、プログラミングが好きだったので、実習が一番面白かったですね。

当時は川合先生(注)とか石畑先生(注)とかが、色々と凝った問題を出してくれて… それになるべく変な解き方をしていました。楽しかったですね。

?実習での言語はなんでしたか?

授業はPascalでした。

ただ、当時はUnixが日本に入ってきたころで、大型計算機センターに続いて、情報科学科にもUnixの動くミニコンピュータが入りました。そのUnixの上ではCを使って、オセロゲームを作って、学園祭で展示したりしていましたね。

――オセロの課題は今でもあります。3年の夏にオセロの思考ルーチンを作るという課題があり、後に大会が行われます。

その他、情報科学科の誰かが作っていた、Cより機械語に近いような言語があって、それも使ったことがあったかな… 何が良いかがわからない状態だったので、言語を自分で作ったりもしましたね。大学以外でも、友達と一緒に、遊び感覚で色々とやっていました。

?学部と院で、どのような研究をしていたのですか?

学部では研究というほどのことはなかったのですが、マスターでは、今で言うと全文検索を研究していました。データ構造をうまく用いて検索をする、といった内容。でも、大学院のときはUnixの移植作業をやっていたので、それに時間を多く費やしていたかもしれませんね。

?現在は学部の卒業論文は英語で書くことになっていますが、それは当時から?

当時からそうでした。ただ、学部の卒論は…私の記憶違いでなければ無かったと思います(注)。修士はありました。

?1期では、論文のテーマ決めも大変だったのでは?

確かに、前年のテーマはなかったですし、論文を書くときに参考にしたものは、あまり無かったかな。院に進学してからは、更に上の人とのディスカッションもできたけれど。
Unix移植作業
?Unixの移植をされていたということですが…?

中央電子という会社の当時の社長さんがなかなか楽しい方で、 Unixをマイクロコンピュータでやりたいと、國井先生に話を持ちかけたんです。それがきっかけでしたね。マイクロコンピュータでは「世界初でやる」という意気込みでやっていましたし、実際、世界初ではなかったですが、東芝とほぼ同時期に日本初で出しました。

ザイログのZ8000というCPUを使っていました。Unixはソースコードがあるわけですから、基本的にはそれをコンパイルすれば良い。ですが、新しいCPUだから、それ用のコンパイラが無いので、コンパイラから作らなければなりませんでした。

Cコンパイラには当時、 Ritchie-Cと、Portable C Compiler(pcc)がありました。 pccはポータブルというだけあって、色々なCPUに載せることを考えて作られた実装で、何十通りかの処理に対して、対応インストラクションをファイルに書いておくと、コンパイラができあがる・・・といった感じ。私はそのインストラクションを書いていました。

しかし、Z8000はいやらしいCPUで、連続したアドレス空間は64Kバイトしか取れないんです。64Kバイトのセグメントがいくつもあるような形で、連続してメモリを取れない(注)。それを考慮すると、とても長ったらしいインストラクションを書かなければいけない。それなので結局、複数のセグメントが使えるように、Cの文法を拡張して何とかしました。そこが一番苦労した点ですね。

コンパイラが出来上がるまで、どれくらいかかったのでしょうね… 2,3ヶ月くらいだったという気がします。デバイスドライバなどは別の人がやっていたのですが、あれやこれやで、全体では1年以内には動いていたように思います。

ただ、当時は学生だったので、品質管理は意識しておらず、今思えばいい加減なものではありました。

…今はそういう品質みたいなところは学校で教育したりする?

――CPU実験のコンパイラを作る係には、テスト用プログラムが与えられていました。シミュレータは自前で用意しないといけないですが… ただし、テスト手法を授業として学ぶということはしていないです。

そのあたりはサイエンスと企業との違いかもしれないですね。企業では実装ではなく、要求を分析している時間が非常に長い。その後のテストケースを全部試す、という時間も多い。一方、実装している時間は意外に少ないです。学生のころは、そこがすべてみたいな感じではありますが…

?学生時代のUnixの移植作業はその後の役にたちましたか?

移植作業そのものと言うより、色々なことに臆せずチャレンジすることが大事ですね。技術的なところも、もちろんあるでしょうけれど… 私は人間関係はあまり得意ではなかったですけれど、そのときの人脈は、仕事の上でも役に立ちました。今慶応にいらっしゃる砂原先生(注)とは Unixユーザー会でご一緒していて、そこから仕事につながったという事もありましたし。だから、そういう人間関係はやっぱり大事だと思います。
就職のお話

――そろそろお仕事の話をうかがわせていただこうかと思います

?就職したタイミングはいつ?

修士の後、博士課程が1年過ぎたときです。当時リコーは、アナログのコピー機を作っていて、デジタル化をはじめたところ。デジタル化するにはソフトが必要ですから、 リコーの中でソフトの研究開発を専門とする研究所を作りたいと、たまたま國井先生のところに話が入ってきたんです。

そこで、学生として私や飯沢君(注)が紹介され、立ち上げメンバーとして中途入社したわけです。そういう意味では、情報科学科でも初めてだったし、 リコーでも初めてのところに携わったことになります。やっぱり新しいことをやるというのは、私にとっては楽しかったですね。

?はじめからチャレンジ精神を持って入ったんですね?

そうだったと思います。今はベンチャーに行かれる人も多いじゃないですか。それと似た感覚かもしれませんね。当時はベンチャーなどは全然思いもよりませんでしたが。

色々やってみるという精神は、新しい分野にはどうしても必要ですよね。当時は、コンピュータの環境をまず整備するところから始めました。入社したばかりの私が一億円もするようなVAX(注)を買ったり、楽しいといえば楽しかったですが…今思えばよくあんなことできたな、と思います。

他にも色々な環境を作ったり、とにかく、全部自分でやらなければいけなかった。 QA(注)のプロセスの幼いものを作ったり、コーディング規約みたいなものも作ったり、そんな事もすべて、自分たちでやりましたね。

?新しいことをしていて苦労したことなどは?

相談する人があまり居ないので、何をやったらよいのかがわからないというところはありました。それでも提案をすれば多くのことはやらせてもらえる状況にありました。

?いろいろとチャレンジできる環境だったんですね?

そうですね、本当はもっとチャレンジすべきだったかもしれないんですが…

?学生時代にこういうことをしておけば良かったな、ということは?

結構好きなことをやっていたもので、後悔はしていないですけれど… 外の人との繋がりは、さらにあった方が良かったかもしれないですね。

?就職された後に、ギャップなどを感じたことは?

新しく作る組織で、自由な雰囲気でやらせてもらっていたので、ギャップは多くはなかったです。 リコーのほかの部門の人からは、大学の研究室みたいだって言われたり… その文化は20数年たって、リコー全体にも影響を及ぼしたとは思います。

?お仕事をされていて、情報科学科の経験が、意外な所で役立った経験は?

意外、といったものは無いかもしれません。しかし、基本的な知識、OSだとか言語だとか… そういった知識をきちんと持っている人というのは、必ずしも多くはないわけです。たとえばアーキテクチャを設計する時にも、基盤的な知識、感覚… そういったものが無いと設計できない、ということがあります。そういう所に、バックグランドの知識を幅広く持っている人は必要だと思うんですよ。他にも先ほど話の出た、Unixの移植とか… そういう経験が自信につながっている、という面がやはりありますよね。直接移植作業が役に立っているというわけではないけれど、それが「できた」ということは大きいです。

?広く浅く知識を押さえていたのが役に立ったと?

私は、専門といえばデータベース寄りではあったかもしれないけれど、むしろ、ソフトウェア全般を広く見ていたタイプでした。アーキテクト型でしょうか。しかし、タイプとしては、特定の分野を専門的に深く研究する研究者と両方必要だと思います。

?人間関係が苦手だとおっしゃっていましたが、仕事を始めてからは、社外の人との交流や、人を動かすことも学ばないといけなくなるとおもいます。そこに抵抗は無かったですか?

もちろん、そういうのが最初から得意な人はすばらしいとは思いますね。しかし結局、経験を積んで自然とできるようにはなります。不得手ながらもやっていれば、色々とできるようになりますし、それがまた別のところに生きる、ということもあると思います。

プロジェクトにしても、「あれは気に入らないからやらない」と言っていると、もちろん会社のためにもならないし、自分のためにもならない、と思いますね。自分が今まで思っていなかったようなところをやってみる、ひとつのチャンスです。

例を挙げましょう。最初のころは、データベースのシステム開発をやっていましたが、それだけではなかなかビジネスにならない。データベースは特に、長く使うものですから、あまり変なのを選んだら困るし、安定したのを選ぼうとする。そうなると、たとえ画期的なものであったとしても、なかなか使ってもらえないわけです。

それで、その上のアプリケーションでのビジネスを考えて、 LIMEDIOプロジェクトが始まりました。データベースの技術と全文検索の技術を使って図書館のシステムとして展開しよう、と。

そういう仕事は、お客様と一緒にやることになるわけです。大学の図書館ではどういうことが必要とされているのかを司書や先生方とお話させていただいて、それで仕様を決めていく。研究といいながら、お客様と一緒に作りだしていくというスタイルの仕事ができて、それは新しい経験でした。

もちろん、たくさん怒られましたよ。でもそれに対して、真剣に対応すれば、かえって信頼感が深まるということもあります。そのことが実感できたという意味では、人との関係の中に入っていけたのは良い経験でした。失敗から学ぶことがたくさんありました。当然技術的な面での経験もたくさんありましたね。
信頼関係から仕事へ〜ドキュメントハイウェイ〜
そうやって構築した、人間関係・信頼関係があってこそできる事もあります。これは2000年くらいの話ですけれども、 MFP(注)のアーキテクチャを大きく変えようと、ドキュメントハイウェイという技術構想を提唱したことがありました。

それまではコピー・スキャナ・プリンタ・ファックスを別々に作ってつなげていたのですが、スキャンしてプリントすればコピーであるように、別々に作る必要は無いわけです。

また、PCと連携するために、PC側でいろいろなアプリを作るのですが、個別に最適の設計をしていると、組み合わせた全体としては最適にならない。あるときは、文章を保管しておいて、管理するようなアプリを作り、あるときは、ドキュメントをスキャンして、それを配信する機能を作りました。けれど、これらは別々に作ったために、組み合わせて使えない…なんていう話になって。

色々なものが出てくるのなら、全部つながって動くものを作りたい… 丁度その機運が高まったときに、研究所と事業部が一緒に技術戦略を作る場に参加して、「こういうコンセプトで、ITの世界とMFPのデバイスをくっつけたらどうだろうか?」という提案をしたんです。

それは、「ハイウェイ」といっていますが、ある種のバスのようなものを考えました。そこに共通の規格があって、文書はこういうフォーマットで流れる、などと決めて、 MFPもPCもそれにしたがって流せば良い。いろいろなものがあって個別に通信する、というのではなくて、流れ方を決めた上で作る…というコンセプトです。

また、MFPはNetBSDというUnixで動かしていたのですが、PCはWindowsが主流ですから、どうやってつなげるか考えないといけない。当時世界ではWebサービスの技術ができかけていたころで、WebサービスでつなげたらOSの違いを吸収できるんじゃないか…と思ったんです。

今でいうSOA(注)の考え方ですが、LIMEDIOで取り組んでいた電子図書館の世界でも同じような事があって、色々な機能をサービスとしてとらえ、それがバスにつながっている形にすれば…という考えを、スタンフォードが提唱していたんです。このような基盤的な知識があったおかげだと思うのですが、そういうアーキテクチャを提案して、成功したと思います。

そして、私は研究所に所属していましたが、事業部からの信頼があるというのはとても大事なことだったと思います。

まとめると、そういう基礎的なところが効いてきますよ、という話と、信頼関係があってこそできるといった話になるでしょうか。
情報科学科に入る人たちへ

――最後に、今後の情報科学科に入ろうかと思っている人へ、メッセージをお願いします

情報科学科に入った人には幅広い未来があるので、色々なところにチャレンジしていただければと思います。色々な経験は無駄にはならないと思います。まぁ、いつも次は違うことをやろう…という精神でやっていくと良いんじゃないかな。とにかく、ありとあらゆるところで求められている学問ですから。色々なところで活躍できる、色々な可能性があるというのは良いと思いますよ。

もちろんコンピュータやソフトウェアの大手企業もありますし、ベンチャーもある。リコーはコンピュータがメインではないので、周りがみんなコンピュータをやっている中で切磋琢磨というのとはちょっと違うけれど、そういうところのほうが求められたり、頼られたりするところもあります。自分の力をより発揮できるという点では、コンピュータがメインではないところでも色々な活躍の場があると思います。

やろうと思えば色々な経験ができる分野なので、ひとつのことにとらわれずに色々と経験したい、という方には良い学科だと思うし、そういう意欲のある方にはぜひ来ていただきたい、と思いますね。

――ありがとうございました
インタビューを終えて

技師長という立場に立ち、数多のプロジェクトを手がけている金崎さん。彼の活動の根底には、情報科学科に入った当時からある、新しいことにチャレンジする意欲があるように感じられた。第一期の情報科学科と現在の情報科学科、異なる点も多少はあるが、「やろうと思えば、色々な経験ができる環境」、「チャレンジをするための基盤を提供する環境」、という点では、今も昔も変わっていないと思う。

そして、何かをやり遂げたという自信が大事、というお話。丁度グループ実験の終了直後に伺ったこの言葉は、私個人には、非常に印象的だった。第一期の頃には無かったはずのこの実験は、現在の情報科学科が提供する、チャレンジ精神のある生徒が自由に活動でき、なおかつ達成感も得られる、ひとつの良い例なのだろう。
注釈
注)國井先生:國井利泰氏

注)川合先生:川合彗氏

注)石畑先生:石畑清氏

注)第一期の卒論:調べてみたところ、確かに無かったようでした。

注)連続したメモリが取れない問題:ひとつの機械語命令の中で、確保するアドレスを指定する箇所が16ビットしかない場合、2^16箇所しかアドレスを指定することができないということ。

注)砂原先生:砂原秀樹氏

注)飯沢君:飯沢篤志氏。本学科のOB座談会にも参加してくださいました。

注)VAX:DEC社の大型のミニコンピュータ

注)QA:Quality Assurance。品質保証のこと。

注)MFP:Multi Function Product。コピー&スキャナ&FAXのように、さまざまな機能を持つ、いわゆる複合機のこと。

注)SOA:Service Oriented Architecture。