情報科学科の先輩に聞く!

現役学生OBインタビュー「先輩たちの仕事の原点」各界で活躍する先輩たちが教えてくれる“仕事の本質”

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情報科学で日本を強くする 〜世の中の役に立つ、研究以外の関わり方〜

総務省|中里学さん (情報科学科15期)
インタビュー年月日
平成20年 3月 6日
中里学 
15期生で、現在の職場は総務省情報通信政策局情報通信政策課。

総務省は国家の基本的仕組みに関わる諸制度や基本的システムを所管する省で、総務庁・郵政省・自治省が統合されて2001年に発足した。中里さんは 1995年に郵政省へ入省。情報通信政策局は総務省の内部部局の1つで、旧郵政省の通信政策局と放送行政局にあたる。その中で情報通信政策課は、総務省 Web サイトによると次のような事務を行っている。

* コンテンツの流通促進。
* ニュービジネス振興。
* 情報セキュリティ対策の推進。
* 民間における基盤技術研究の促進。
鈴木・寺島
情報科学科3年生(当時)の鈴木と寺島の2名。寺島は官庁へのインタビューを希望した張本人で、英国に1年住んでいたことがある。
略歴
――最初にこれまでの略歴を教えていただけますか。

公務員に興味を持っている人が集まる機会があって、そのときにプレゼンテーションした資料があるので差し上げますね。ここに略歴というか、どういう業務をしてきたかが書いてあります。教養時代は理1で、学部卒が5年3月。修士を出たのが7年3月で、7年4月に入省しました。これまでに所属した部局は電波部計画課(現・電波政策課)と電気通信事業部電気通信技術システム課と情報通信政策局技術政策課で、出向したことがあるのは国土交通省道路局道路交通管理課、内閣官房、文部科学省研究振興局情報課です。それから、入省3〜4年目はカーネギーメロン大MBAに留学していました。

研究について
――学部生時代の話を聞かせてください。

僕は平木研究室出身なんです。当時、修士は情報理工学じゃなくて情報科学専攻だったんですよね。小ぢんまりとしてて、研究室が8かな、教授4で助教授4とか。情報科学科自体はソフトウェアが主じゃないですか。その中で、平木先生は並列計算機アーキテクチャといってちょっと毛色が違って、どっちかというとソフトウェアよりもそっちのほうが面白そうかなと思ったので選びました。僕は研究室2年目なのかな、新しい研究室だったんで。シニアな教授の研究室に入るとそのときは良くても、研究室の長が定年を迎えられちゃって研究室が解散とかいう人も周りで見てたんで、新しい研究室に入れたのは良かったのかなと思います。学部時代は、研究室に4年で入ってから、卒論とかあって忙しかったです。就職は考えなかったですね。
で、研究としては、僕の研究室同期4人で「お茶の水1号」という計算機を作ったんですよ。1人がコンパイラをやってたんですけど、残りの3人が HWっぽいことをやって。お茶の水1号というちょっとふざけた名前をつけたら、何号かまではそのあと後輩がやってましたよ。卒論も修論もその製作がテーマでした。小さな並列計算機を作って、その上で何か実装をするというような。まずはその小さな計算機を動かすところから始まって、動いたらその上で新しいメカニズムを動かすというほうにだんだん特化していきました。

――今だったらCPU実験というのがあって、FPGAで作ってます。

ああ、FPGAですよ。当時1万ゲートしか無かったですけど、FPGAはメーカーからサンプル提供してもらったりして。でもCADを使って基板を起こしたんですよ。村岡洋一先生という、現在は早稲田の副学長じゃないかな、権威の先生がいらっしゃって、当時、「学部生でしょ? CADの使い方覚えて終わっちゃうよ」って言われちゃって、まぁ実際それに近かったんですけど(笑)、当時は「いや、そんなことはない」と思ってがんばっていました。

就職について
――就職はどういう経緯だったんですか?

修士の1年のときに公務員試験を受けました。実は特に公務員志望があったわけではなくて、平木先生が今でいうと産総研(産業技術総合研究所)、当時は電総研(電子技術総合研究所)って言ってたんですけど、通商産業省の下に工業技術院っていうのがあって、そこが持ってる研究所の電総研に何年か勤められて、それから東大に移られた。国の研究機関に勤められてたわけで、公務員だったわけですよ。まぁ研究職と僕みたいな行政職はまた違うんですけど……。で、公務員試験受けませんか、みたいなことを平木先生から言われたんです。タダだし(笑)、別に公務員になりなさいって意味で仰ったわけじゃないんだけど、選択肢の一つとして。理系であれば、まあ専門分野は特段勉強しなくても通ってしまうものなので。
僕は技術系の行政職で、修士1年のときに情報工学で試験に通りました。確か2年か3年有効なんで、1年のときに取った資格で2年のときに官庁訪問をしました。1年のときに官庁訪問しても、来年おいでって感じで言われちゃうので。ただ試験に通ってると、M2のときの活動がしやすいっていうのはあるんですよ。(いま総務省で)面接をしたりするんですけど、1次試験を通った段階でやる気のある人が来て、いろいろ話をしてこの人いいかなと思ったりすると、実は2次試験で落ちちゃったりすることがあります。僕は面接のときには資格は持ってたので、そういう目では見られなかった。

――郵政省(現総務省)を選んだ理由は何ですか?

まず、情報系というのが前提にあったもののアカデミックな世界に残るのはちょっと合わないなと思ったのと、大学で研究したり企業の研究所みたいな所に行って開発するというのは一生の仕事として続ける自信がなかったというか……。周りを見ていると皆さん優秀だったので、そういうのはそういう人たちにやっていただいて、いわゆる文系就職なんですけど、情報とは関わりつつも、もうちょっと研究じゃない分野のほうが自分には向いてるかなと思ったんです。
あと公務員って、配置換えが結構頻繁にあるんですよ。希望が叶わないことも多々あるんですけど、いろんなことを経験できたら面白いのかなと。当時はまだ今みたいにネットワークができてなくて、まあきれいごとですけど、コンピュータの世界で何年も研究していくよりも、世の中の役に立つような関わり方ができる仕事がいいのかな、と思って選んだんですね。
それから、実を言うと僕の2つ上と1つ上で情報科学科から郵政省に入った先輩がいて、なんとなく身近だったこともあります。2つ上は実は2人入ってるんです。まぁ1人はすぐやめちゃったんですけど。1つ上の先輩も2つ上の先輩もまだいます。

――研究職以外でも、今で言うとSEみたいな仕事の選択肢もあったんですか?

一応企業の研究所とか見てまわったりしましたよ、みんなと一緒に。でもねえ、どの企業がいいのかなんて難しいじゃないですか(笑)。合う合わないもあるだろうし、同級生を見ても、入ってから合わなくて別の企業に行ったりとか、入社してから国内留学させてもらってドクター取ってやめちゃったりとか、やめて今大学にいる奴とかいろいろいます。
仕事について

――今までのお仕事について教えてください。

文部科学省、昔で言うところの科学技術庁に3年前に出向していたときがありました。そこは何をやっていたかというと、まさに情報科学分野の研究振興だったんですよ。基礎研究といってもいろいろな分野があると思うんですけど、ライフサイエンスですとか、材料とか、ナノテクとか……その1つが情報で、その時に、次世代スパコンの大きなプロジェクトを始めたんですね。情報科学分野の基礎研究の旗振り役だったので、密接な関係とまではいかなかったものの情報科学科の先生とよくお会いしましたね。平木先生のプロジェクトの委員会にもオブザーバーで呼ばれたりとか。郵政省(現総務省)では通信のほうなので、あまりコンピュータコンピュータしてないんですが、たまたまそっちのほうに一時期関わって。だから当時の先生と生徒みたいな関係から、対等に近いというか、普通に話し合う立場になったりもしました。

――具体的にどういうことをするのかを教えていただけますか。スパコンプロジェクトはどれぐらいの規模ですか?

予算的には7年で1154億円。国の仕事は、予算取りですね。財務省がお財布を持っていて、予算要求というプロセスを通して必要性を説明して認めてもらう。地球シミュレータという国の大きなプロジェクトで作ったスパコンがあって、それができた時は、計算機性能でいうと当時最速だった物の5倍ぐらいだったんです。それで世界中がすごくびっくりしたんですね。それで今はどうかというと、ある計算機の尺度だと日本は全然ダメで、汎用性を持った大型のコンピュータを作るべきだというふうに議論があってですね。そのプロジェクトは今、7年計画の2年目の終わりとかいう感じです。その立ち上がる前の0年目、あるいは-1年目に僕が仕事をしていました。シミュレーションで早く結果が出ればすぐ製品開発に移れて、それが国の競争力につながります、といった、「速いと何が良いか」という説明をして、それが認められた。国の仕事としては、単に速いのが欲しいと言うだけじゃなくて、どういう分野でどういうニーズがあるか、どれぐらいのものが必要かとか、逆にどの程度のものがあればどういう風にそれぞれの分野で活かせるか、というようなことを見極めるのと、あと技術的にそれが実現可能なのか、ということを見極めないといけません。半導体の線の幅があって、その幅が何年かおきにちょっとずつ狭まって、そのトレンドと、どの技術を使うとそれができるか、そしてそのときに予算的にはこれぐらいかかりますよ、と。あんまり細くなりすぎると熱の問題があったりして、冷却装置に莫大なお金がかかっちゃうとか、電気代がいっぱいかかるとか、ディスク装置とか、他にもいろいろな要因を考えます。

――今までの発展の度合いからして、例えば7年後にはこうなってるだろうというデータを集めて、説得するということですね。

総務省でも仕事の大きなひとつに予算要求というのがあります。また予算を認めてもらったらそれをどううまく使うか、でそれを使うときに、僕なんかもう研究から遠ざかってて当然自分でできるわけがないんで、できる人を募集します。大学とか企業の人に手を挙げてもらって、自分たちだけでは細かいところまでは分からないんで、外の人の意見を聞いたりして、誰にやってもらうかを決めるという仕事もあります。

――そのしたいことは自分たちで見つけて、それからできる人を探してくるという感じなんですか? それとも逆に、こういうことをしたいという話が具体的にあがってきて……

両方ですね。折衷というかね、誰かが言ったのをその通り真に受けて良いかというのも分からないですから、いろんな人の意見を聞くとか、海外情勢とかいうので決まっていきます。あとは国の方針から、こういうことをしなくちゃな、というのがおりてくることもあります。

――スパコンは出向先での話ですが、総務省では情報通信系の話ということになってちょっと別ですよね。

今やってる仕事の内容については……これ(「わが国のICT国際競争力強化戦略」総務省/ICT国際競争力懇談会共編)をお土産で差し上げます。経済もそうなんですけど、今、日本の国力というのがどんどん落ちている。新興国が伸びてますし、先進国にもどんどん先を行かれちゃってる。携帯電話がすごく良い例なんですけど、日本の携帯電話はすごく多機能で、世界の最先端なんです。ただ年に2回新モデルが出たりして、世界全体から見るとどんどん特殊なほうにいっちゃってて。端末を作ってる日本のメーカーは10社ぐらいあるんですけど、淘汰が始まっています。その理由としては、国内市場がもう飽和しつつあること、なおかつ人口減少。高齢化だからお年寄りが使える携帯とかもできてますけど、トータルで見ると市場はどんどん小さくなってくる。一応日本の端末メーカーも海外で売ってるんだけど、マーケットのシェアでいうと、その10社を合わせても10%に届かないぐらいなんですよ。それは通信の規格の問題があったりとか、あるいは最先端を行きすぎちゃって、日本の端末をそのまま持っていっても外国のユーザーは使いこなせない。
この資料は、1年ぐらい前にICT分野の国際競争力をもっと強化すべきだという議論をして、それをまとめたものです。これまでは国内だけを見てメーカーや通信事業者が商売・サービスを展開してきたんですけど、日本で成功して日本のマーケットがだめになりそうだからって初めて海外に目を向けるよりは、始めから海外仕様を作っておけば、すぐに持っていってサービスができるとか。あるいはいっぱい出ることが見込めれば、それだけ単価が安くなるということもあるので。そういうことをすべきだという議論をしてきて、今少しずつ実際の動きを実行しているというところです。

――総務省の仕事としては、国策として国際競争力を増すにはどうしたら良いんだというところから、じゃあこういう懇談会が要りますよねということで作って、その会の面倒を見るというところだけですか。

当時はね。それでどういうことをやってくべきだというような結論が出たんで、今はそれの実行です。去年の5月に、実際に強化するプログラムを作ったんですよ。その中にはこの分野の研究開発をやった方がいいとか、標準化みたいな技術外交とか、あるいは通信放送の融合を進めていくべきだとか、そういう結論が出てるので、それぞれのセクションで担当して、人材育成だとかいうことを今やってる段階です。

――こういうまとめを作って予算が下りて、それからプロジェクトなり人材育成なり勉強会を開いたり主催したりできるようになるということですか。

無いからできないわけではないんだけども、こういうので位置付けがされていると取りやすいですね。お金が何億とか必要なものばかりでもないですよ。国の機関なので法律を所管して、たとえば電波が分かりやすいんですけど、今まで使い方が限られてたものに新しい用途ができてきて、こういう風に使いたいというニーズがいっぱいあるんで、じゃあどこそこの条件を緩めるとか、あるいは新しい用途に割り当てをするとかいうような、お金のあまりかからないこともあります。
あと、国際競争力とか成長力強化、あるいは生産性向上とかいうキーワードも出てますが、ICTを使うとどういう風に産業が効率化するかを考えてます。情報科学科にあえて絡めて話をすると、ICT分野の人材が不足していると言われてるんですね。それも高度なマネージメント、経営上にICTをどう使っていくかということを考える高いレイヤの人から、プログラムする人とかいろんな層があって、日本は全体的に不足してると。これからそういう分野で国を興していこうという中国やインドからは年間何万人という単位で情報分野の人材が輩出されるのに。日本みたいにある程度ネットワークが行き渡っていて、しかも誰もがそれなりにインターネットを使っているという状況だと、まあ使えればいいやという感じじゃないですか。そうすると、大学で情報を専攻した人の半分はそっちの分野に就職しないという統計があるんですよ。それでは困りましたね、と。いかに情報分野で優秀な人材を確保していくかというのは産業界でも心配してます。専攻してない人が入ってくるとトレーニングをしなきゃいけないわけです。そこにコストがかかるんですけど、会社もそんな余裕がないということで、即戦力を求めたいんだけど、なかなかそういう人が確保できない。
情報科学科について

――情報科学科の印象、特徴を教えてください。

去年、技術系で総務省に入ってきた人が7人いるんですけど、7人中5人が東大で、5人中4人が情報を専攻している人ですね。僕が入ったときは10人中東大の情報は僕一人だったので、全体としてここに来る人の割合は増えているようです。
また、コンピュータ科学専攻は、研究者としては優秀だと思うんですけど、あんまり目立たないような気がするんですよね。専攻自体もそうだし、個人としてもあまり目立つ人がすくない気がします。その分野の研究としては優れていて、その分野の先生に聞くと、有名なんだけれど、分野を超えて、情報を代表して他の分野とやりあう人が少ないんじゃないか、という印象がしますね。
こういうところでみていると、東大の情報系は教育・研究レベルはとても高いけれど、ネームバリューがいまひとつ、そんな印象があります。

――在学中と現在で見え方が違うことは何でしょう?

在学中って研究で忙しいですから、就職活動は新たな見方を得るという点ではとても良い機会ですよね。研究して、アルバイトしてというだけの生活だと、よっぽど自分の将来に関するビジョンがないと漫然となりがちですよね。そういうと俗にいう視野が狭い人なってしまうということになる。
やっぱり社会人になって10年ぐらいするといろいろな人と接触するとか、僕みたいに大学の先生とやりとりするようないろいろな経験を積むと、変な言い方かもしれないですけど、社会の仕組みというものがわかってきますよね。
自分に余裕がないと自分を相対視する機会があまりないからそういった社会の仕組みというのはわからないですよね。社会にでることで、自分のおかれている状況というものが客観視できるようになったと思います。

――情報科学科生への期待はありますか?

コンピュータ科学だけじゃなくて、いろんな分野にいって、いろんなところで活躍するといいと思いますね。学問を究める人はそれはそれでいいですし、それで優秀な人を育てるというミッションを持っている人ももちろんいるべきだと思うんですよ。でも、そうじゃなくて、ちょっと離れて活動するという人がいてもいいんじゃないかなって思います。

――情報科学科の卒業生が外国の企業に勤めることが少なくないですが、これに関してはどうお考えですか?

外国の企業を否定しないですけど、ここで仕事をやっていると日本に暮らしている以上日本がだめになっていくのを歯がゆい思いでみているよりはちょっとでも良い国にしたいし、そうしていってくれる人が多くなるといいですよね。
僕は就職してから、アメリカ留学させてもらったんです。カーネギーメロンというコンピュータサイエンスで有名な大学に行ってMBAを取ってきたんです。当時の仕事にはあまり関係がないですし、その後の仕事にも正直関係ないのですが、好きなことを学んでこいと言われたので行ってきました。
そんなふうにアメリカに行ったら自分の国を外から相対的に見えて、客観視して日本を見られました。日本にいると日本の悪い面を良く聞きますが、距離を置くことで良い面と悪い面が見えてきますね。アメリカと日本を比較できて、もっと日本をこうしていきたい、という気持ちが強くなりましたね。

――僕(寺島)もイギリスに住んでいた時があったんですが、そのときにも日本も捨てたもんじゃないなと思いました。

海外に留学するというのは、帰ってから国のために働くというのに良いモチベーションになりますね。
それとのアナロジーになるかわかりませんが、せっかく情報を専攻したら、その道を究めていくのもいいですし、ちょっと離れた分野に行って、そこで役立てたりするのも良いでしょうね。情報はどこかで関係していくので。
さまざまな分野で活躍してもらって、最終的には今の人達には世の中に役立って、日本を強くするパワーになってほしいですよね。
これから
――中里さんのこれからの夢やライフプランなどを聞かせていただけますか?

2000年に結婚して、子供が3歳になるんですよ。ライフプランとは違うんですけど、自分の子供を含め、今の子供たちが大人になったときに希望を持てる国になれるようにちょっとでも役に立ちたいですね。それと、今楽しみなのが、自分が昔学校や塾で勉強したことを、子供と一緒に昔の記憶を辿りながら日本の歴史とかを学びたいな、というのがありますね。別に教育パパになるつもりはないんですけど、子供と一緒に勉強をし直していったら面白いだろうなって。
あとは日本の教育というのがどうなっているのかを身を以て知りたいですね。文部科学省に出向してどういうことをやっているのかはかじったんですけど、実際に自分の子供にどのように反映されるのかというのは知りたいです。今の教育を受けた人達が、みなさんも含めて日本を支えていくんですから。

――仕事の面での展望はどうでしょう。

仕事の面でいくと、漠然としてますが、やっぱり日本を強くしたいな、と思いますね。仕事で日本と海外の比較とかをしたりすると、日本の企業が海外のものに負けているので、「これじゃあ良くない」と思います。
これからも今の仕事で続けるかは分かりません。違う省庁に行ったりとか、民間企業に出向したりとか、どこでかはわかりませんが、日本を強くする仕事はしていたいですね。

――今日は時間を割いてインタビューに協力していただき、どうもありがとうございました。
インタビュー後の感想
* 学部3年の鈴木は今回撮影のためにインタビューに参加しました。中里さんは"官僚"ということで、堅い人を予想していましたが、ざっくばらんに日本の情報産業に関する様々なことや、大学を離れ約10年間日本の中枢でさまざまなプロジェクトに関わった話など、とても有意義なお話を聞けました。日本のIT産業に関する良くないニュースがしばしば聞かれますが、中里さんの日本への熱い思いを直に聞いたことでこれからの日本の産業の明るい未来を感じました。(鈴木)
* 情報科学科卒業生の就職先というと、まず思い浮かぶのは企業や研究所、あるいはアカデミックな職だと思う。ただ、国家の視点で考えてみると、せっかくの専門知識を持つ人を政策決定に生かさない手は無い。その割に情報科学科にいてそういう話を聞くことは少ないので、今回のインタビューはとても貴重な機会だった。官庁にお勤めということで伺う前はどういう人だろうという不安も少しあったが、実際にお会いしてみるととても話しやすい方で、リラックスして色々なお話を聞くことができた。今までの仕事の内容を聞いていると、情報技術への理解が役立つ場面はかなり多いなという印象。日本の役に立ちたいという意識が随所で伝わってきたのが、企業勤めと違い特徴的だと思う。国際競争力がますます求められている中で、情報科学科で学んだことを生かすひとつの道として有望なのではないだろうか。 (寺島)