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4自然言語処理と研究者

「根源にある人工知能を見つめる」

言語の意味や知識は人の内にある。集めた文の観察だけでとらえることはできない。人工知能の研究の問題意識を見直す価値があるだろう。

お話をうかがって、自然言語処理の研究は人工知能に通じていると強く感じました。

それは、僕の研究の出発点から根底にあります。言語を研究するとき、人間から外に出たデータの観察という外の現象からの立ち位置と、人間の内部で生じる現象―つまり脳の現象としてとらえる立ち位置があります。いまの機械学習は、テキスト集合を観察データとして、外の現象から人間の言語にせまっているわけですね。経験主義という立場です。

これに対して、人間の中で起きていること、心や脳の中で起きていることに関心をもつ認知主義の立場があります。心や脳内の現象は、最近脳の観察装置などが開発されて変化してきたとはいえ、データ観察というより理論構築の立場を重視することから合理主義とも呼ばれます。人工知能研究の黎明期には、認知主義と合理主義が計算モデルと結びついたものが研究の主流をなしていました。

大量のデータから研究を組み立てる経験主義が自然言語処理や自然言語理解の研究で強くなるのは、さきほどのIBMによる統計翻訳が出てきた1990年代からで、主流になったのは今世紀に入ってからの10年間といってよいでしょう。

いまの統計的手法による機械学習に欠けているものは、人間の学習や思考のメカニズム中にあるとお考えですか?

人間がどう言語を学習するかという、心の中や脳の中の処理をモデル化する方向は、現在の機械学習にはまだ希薄です。ここの部分を真剣に考えると、言語の機械学習を一段と進めるヒントが見つかるでしょう。特に、言語の意味や知識といったものは、直接には観察できない心の中にあるものです。黎明期の人工知能の研究の問題意識、合理主義や計算主義と呼ばれる立ち位置を見直して、データ中心の経験主義の立ち位置と融合させることは必要だろうと思います。

言葉は、人間という動物種に極めて特異的に存在するものです。言葉はどのように発現したのか。そういう根源的なテーマは、非常に魅力的ですね。そろそろ、こういう根源的な問題に取り組む時期がきているのかなという気もします。

でも、なにしろ問題が壮大でぼんやりしています。僕は、まだ技術的な論文に書いて何かを積み上げられる段階ではないと思うんです。だから、こういう人工知能の根源的な問題意識は、いまはお酒を飲んだときの楽しいお話だけにしています。けれども、そういう根源的なものへの興味は、僕の研究を進めていく原動力になっています。論文にはならないけれど、長く研究を続けていくモチベーションですね。

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